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復活節第4主日 ヨハネ10:11~18 「羊はわたしの声を聞き分ける」

良い羊飼いのたとえ話が朗読されました。安息日の律法を破る、危険をおかしても盲人を癒したイエス様が「良き羊飼い」です。反対に、苦しむ人を見ても論争をして何もしない宗教的エリートが「偽物の羊飼い」です。(前の9章)

今日は、羊の立場から考えます。「羊はわたしの声を聞き分ける」とあります。どんな声を聞くのでしょう? 私の体験をご紹介します。

イエズス会に入るまで、私はプレハブ住宅の営業マンをしていました。(1988年〜2000年 勤務地は主に名古屋) 毎月のノルマのプレッシャーは強かったし、契約いただいた方に喜んでもらうために、アフターフォローもしなければなりません。 心が休まることはありませんでした。

「このお客様が契約できなかったら、もう会社にいられない。」

「このクレームを解決できなかったらもう仕事を続けられない。」

何度か窮地に追い込まれました。そのことが頭から離れず、夢の中でも仕事をしていました。大概、悪い結果で目が覚めました。 でも、幸い、実際にはいい結果になりました。

「よかった。」 ホッとして運転する帰り道です。

「あなたの仕事は他にある」という声を聞いた気がしました。でも「何を今更・・・」と受け流しました。ところが、しばらくすると、また同じようなことが起きて、同じ声を聞きます。

「あなたの仕事は他にある」 私は思いました。「他にどんな仕事があるんだろう? 10年もこの仕事をしている。今から資格を取って別の仕事に就くなんて考えられない。そんなゆとりも能力もない。」 

「他の仕事・・・?」 しばらくして思い浮かんだのが司祭でした。 

でも、あまりに遠くて難しいことがわかります。 

「いや、無理だ。やめておこう。そんな雲を掴むようなことを考えるのはやめよう。うまくいかなかったらどうなる?」 

次に聞いた声です。「前のめりに倒れたら骨は私が拾ってあげよう。」 

「羊のために命を捨てる」と言われるイエス様らしい言葉です。 でも、すぐには応えられませんでした。 こんな言葉なら安心できたかもしれません。

「たとえ司祭に叙階されなくても、カトリックの学校の先生に就けて年収はいくらあげよう」(偽物の羊飼い声) でも、こんな声なら覚悟なしにイエズス会に入って続かなかったでしょう。

同僚からは「やめておいた方がいい、もったいない。無謀だ。」と言われました。


私たちにはさまざまな声が入ります。どの声に従ったらいいのでしょう? 

イグナチオ(『霊操』#315)はこのように説明しています。「善霊の特徴(良い羊飼いの声)は、人を励まし力を与え、慰めと涙で安らぎを与え、神様の道をさらに進歩できるように、障害物を取り除き、物事を易しくします。 悪霊の特徴(偽物の羊飼いの声)は、私たちをさいなませ、悲しませ、妨げを置いたりして進歩しないように、心をかき乱します。」

迷っていた私に召し出し担当の神学生がこう言ってくれました。「苦労が見えていても“光”が見える方を選んだ方がいい。」 覚悟ができました。 それから20年が経ちました。

経験から言えます。「羊のために命を捨てる」とおっしゃるイエス様は、私のことを計らって下さいました。 同じように、私たち一人一人を神様は計らって下さいます。

学生の時、このイグナチオ教会で洗礼を受けました。「羊は一人の羊飼いに導かれ、1つの群れになる」 「良い羊飼いの声」を聞いた私たちが、群れになって歩めるよう願いましょう。


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