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聖霊降臨の主日

聖書朗読:ヨハネ15:15-16,23b-26

 

私が神学生の頃、岩島神父さん(月に一度、土曜日18時のミサを司式される)に神学を教えていただきました。「イエス・キリストは誰なのか?」を学ぶ、キリスト論、神学の中でも主要科目を教えていただきました。神学は4年勉強しますが、半分終わって、学部生から大学院に進む時に面接がありました。他の先生は「大学院では何を学びたいですか?」とか「どんな修士論文を書きますか?」という質問をされました。でも、岩島神父さんは一味違いました。「柴田さんは若く見えるけど、こんな歳なんだ。若い学生に混じってよくやってる。残り2年頑張ってね」 40歳も後半になって20代の学生と一緒に頑張っている私を労ってくださいました。思いやりと暖かさを感じました。思い出すと涙が込み上げてきます。社会で12年働いて、勉強には向かなくなっている私への神様からの励ましの言葉に感じています。

聖イグナチオ教会主聖堂ステンドグラス「炎」

第3幕は、イエス様が昇天した後に、弟子たち・教会に注がれた聖霊の働きです。イエス様は、自分と同じ使命を果たせるように“聖霊”を弟子たちに派遣されました。今日、聖霊降臨を祝いしていますが、弟子たちに始まっていまわたしたちに第3幕が繰り広げられています。


では、聖霊が注がれた時の弟子たちの状況を想像してみましょう。聖霊降臨はとても大きな喜びでしたが、お祝いモードに長く浸れたわけではありません。すぐに試練が待ち受けていたからです。弟子たちが“神のみことば”を伝え始めると、敵(律法学者たち)はすぐに止めようとします。ペトロとヨハネが法廷に連行されて、尋問されます。そして「主のみ名において語ってはならない」と命令してきます(使徒書4章)。律法学者たちは“神のみことば”を語る自由を奪おうとしてきます。 

このように聖霊降臨は、迫害や試練とセットです。 喜ばしいものというより「試練のときにどうするか?」の準備です。 私たちも、教会から一歩出たら、“神のみことば”とは違う価値観、ルールの中で生活します。ときには、闘わなくてはなりません。


そして、社会の中で“神のみ言葉”を伝えるというのは、岩島神父さんのような、思いやりと温かみのある言葉を投げかけることでしょう。キリスト教の教えを伝えるよりも、わかりやすい、心に響く言葉をかけることです。信者さんであっても、誰であっても試練にあっている人を暖かく励ます。そのイメージを大事にしましょう。


聖霊が働くのは、うまく行ってる時、とイメージがあるかもしれません。でも、むしろ、自分では気が進まない、と思うことを辛抱強く続ける時、と私は感じています。忙しくして頑張ってる間に、カブトムシがサナギになる、成虫になる。小さな喜びをもらって、また頑張ろう、と思える。今日1日のやるべきことをしっかり果たす。そんな力を聖霊は与えてくれます。 「今して下さい」と神様から頼まれているミッションを果たす。必要な力を聖霊降臨の今日、願いましょう。


2022年6月4日深夜から早朝にかけての羽化の様子。



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