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主の昇天

  • shibatakiyoshisj
  • 6月2日
  • 読了時間: 3分

主、イエスは復活された後、40日にわたって弟子たちの前に現れ、逃げてしまったことを赦し、励ましてくださいました。そして、今日、昇天して父のもとに帰ります。昇天の大きな意味は、イエスの地上での働きと使命が終わったことです。そして、これからは、聖霊を受けた弟子たち、私たちがこの世での神の救いの担い手になります。

このことを、岩島神父さまは上智大学神学部で、神の救いの計画を第1幕から第3幕に分けて説明されました。


第1幕は、父なる神の愛がイエスによって目で見えるかたちで表わされことです。父なる神は、ユダヤ教と同じ天地創造の神です。しかし、その姿を直接見たら死んでしまうと怖れられて、人間から遠いところにいました。そこで、御父は子なるイエスを通してご自身の愛を現されました。イエスの癒しの業や、貧しい人と共にいる姿によって神の愛が、目で見えるようになりました。

第2幕が、イエスに働く聖霊です。イエスの力ある業にはいつも父からの聖霊が働いていました。聖霊を通して父と子は一致していました。   


イエスは、40日間、弟子たちを励まし、彼らが立ち直ったことを見届けると、昇天して父のもとに帰ります。そして、自分と同じ使命を果たせるように“聖霊”を派遣します。それが第3幕の始まりです。聖霊が与えられて、神の国の実現は弟子たち、私たちが担うことになります。主の昇天・聖霊降臨は第2幕から第3幕に切り替わる所に当たります。


聖イグナチオ教会 クリプタへ続くステンドグラス

では、昇天は私たちとどのように関わっているでしょうか? 「天」は信仰の旅の始まりと目的地です。「天」は神様の素晴らしさ、優しさで溢れてます。イエス様自身が「天」から降って、地上の生活を終えて、「天」に昇られました。同じように私たちも毎日の生活を通して「天」に戻っています。


四ツ谷に来る前、山口で働いていた時、周南市の2つの幼稚園に加えて光市の園長も引き受けたことがあります。その幼稚園は、前に園長をしていた神父さんがモンテッソーリ教育を否定し、園全体が混乱していました。職員室に入っても私は歓迎されていないのを肌で感じました。こちらも「やりたくて3つも園長しているわけじゃないし・・・3つになると分散して、子供たちとの関わりも薄れる。いいことなんて何もない」という気持ちでした。


これまで休みだった月曜日、まだ暗いうちに40分かけて光市の幼稚園に向かうのは気が重かった。

「どうしたものか?」考えながら運転する時“主の祈り”の出だし「天におられる わたしたちの父よ」と繰り返し唱えました。憂鬱な気持ちが消えるように、無心で「天におられる わたしたちの父よ」と唱え続けました。20分くらい繰り返し唱えると少し気持ちが和らいでいきました。

それを毎週続けるうちに「いま私は、行きたくない3つ目の幼稚園ではなくて、天におられる父に向かって運転している」と思えるようになりました。

苦痛に感じた通勤の時間が「天に向かう時間になる」 不思議な体験でした。


イエスさまも受難を経て、天にあげられました。地上と天上は繋がっています。地上の苦労を通じて、天の国に昇っていく。そう感じられる体験でした。

以来、「どうしてこんなことしなければならないだろう?」と感じると「天におられる わたしたちの父よ」と唱えています。すると心が落ち着きます。

今の営みは、苦しいように思えても、天の国につながっている。「天におられる」と唱え続けることで、神の国に近づくように感じてきました。きっと、無心に「天におられる私たちの父よ」と唱えるうちに聖霊が働いてくれたるのでしょう。


どうか、私たちの生活に聖霊が働いて、神の救いの計画の第3幕が展開するように願いましょう。




ルカによる福音 24:46〜53

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