先週の説教の資料です。
第1留 イエスは死の宣告をお受けになる
十字架の荷は本当に重いのです (一部表記を変えています)
私が過去ヶ3月半の間に、十字架の重さを学んだ体験を分かち合います。1993年11月11日木曜日、マスコミは私が性的暴行事件のために訴えられる記事を掲載しました。私は記事が出る前に、訴訟の噂を耳にしましたが、この特定の申し立てが何を含んでいるのか知りませんでした。
私がどんな思いをしていたかわかるでしょう!翌日の金曜日、朝の祈りでいつものようにロザリオを唱えました。苦しみの神秘の「ゲッセマネの園の苦しみ」を黙想し始めました。その時、私は突然、イエスの生涯でその苦しみがどんなものだったか、前よりも一層深くわかることができました。イエスが「なぜ私が?」とおん父に尋ねられた苦悩を私も肌で感じました。
過去3ヶ月半の間、私は非常に苦しみました。まったくの偽りとわかっている告発で、苦境に陥れられたのです。私は文字通り全世界の前に立たされ、何度も何度も自分の無実を申し立てなければなりませんでした。幸いにして、私は司教区全体から、そしてアメリカ中、世界中から多くの支援を受けました。しかし、メディアにばらまかれた告発のおかげで、私を有罪だと信じ込む人たちによって心はかき乱されました。
私は多くの友だちの愛と祈りによってとても励まされ、慰められました。しかし、もし私が、質の良い時間を神様に捧げる祈りを毎日していなかったら、この十字架の重荷に耐えられなかったでしょう。
結局、これまで培った主との親しい交わりが、内面的な平和を保ち、司牧活動を続けさせてくれました。そして、この数カ月に人間として成長できました。
これは、偉大な神秘ですが、苦しみによって私たちはイエスに近づけるのです。そして、これが信仰の偉大な力であり、大きな特権なのです! (1994年3月6日)
振り返りの質問
Q.正直に生きてきたのに苦境に立たされた体験がありますか?
Q.それをどのように乗り越えられましたか?
Q.十字架上のイエス様から力を受けたことがありますか?
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