福音朗読:ヨハネによる福音20:1〜9
今年の聖週間、復活祭は、私にとって特別なものになりました。
3月30日に90歳になった父が、弱っていて、いつ家族から連絡があるかわからない状態で過ごしているからです。
私の父は、信者ではありませんが「父なる神様」という言葉が腑に落ちます。父を想像したら神様を想像できるからです。それはどれほど恵まれたことでしょうか?
「イエズス会に入りたい、カトリックの司祭になりたい」と父に打ち明けた時の、父の衝撃は相当なものでした。四ツ谷のイエズス会の管区本部に、断りに行こうとしたくらいでした。
「息子が一人しかいない。それは勘弁してほしい。」
「自分の息子でなければ、こんな理不尽な話を認められない。」
でも、息子が願う道ならば、と許してくれました。
同時に、「修道会に入っても、違うと思ったら、いつでも戻ってこい。これがお前のうちだから」と畳を叩きながら送り出してくれました。2000年の3月のことでした。
2010年9月、私と中井さん、山内さんの司祭叙階式に父はイグナチオ教会に来てくれました。
父は「あれだけの人にお祝いしてもらって行ってよかった」と漏らしていたそうです。
でも、私の心の中には「父の希望にそえられなかった。孫の顔を見せられなかった」申し訳なさがずっとあります。
だんだん弱っている父に、聖金曜日の朝、そのことを打ち明けました。
「(司祭になる)進みたい道を許してくれてありがとう。孫の顔を見せられなくてごめんなさい」
父は、左手を上げて「いいよ」とジェスチャーで示してくれました。
この「いいよ、気にするな」というジェスチャーが父との最後の会話になるかもしれません。
十字架のイエス様も、ベッドの父も、痛みを堪えながら「いいよ、気にするな。大丈夫。お前の信じた道を進みなさい」と送り出してくれているように思います。
私たちは、十字架のイエス様から、寛大さ、優しさ、善良さをいただいています。そして、復活のイエス様からも、続きをいただきます。生きている肉声ではなくなっても、寛大さ、優しさ、善良さが、心に刻まれています。目の前に思い出すことができます。心の中に、生きている。それが復活の喜びに繋がると思います。
今日福音の登場した、マグダラのマリア、ペトロ、イエスの愛しておられた弟子たちも、まだ復活の喜びまでは感じていません。不安の最中かもしれません。
それでも、だんだんと復活の喜びが込み上げてくる。その間の出来事に弟子たちもいます。
父なる神様の愛、十字架のイエス様の愛。私たちは、愛に囲まれているし、守られています。
「いいよ、気にするな」と許されて、励まされています。復活されたイエス様から、肉声の続きが聞こえるように、お祈りしましょう。
ご復活、おめでとうございます。
父母会主催 ウクライナ支援活動
東京大空襲を命からがら逃げ延びた父は「戦争は絶対してはダメだ。全てなくなる。ウクライナを見て、なんでこんなことするのか!」と金曜日ベッドで言ってました。
父の思いも込めて、ウクライナ支援(教会学校の父母会の皆さんと)のトートバックを急ピッチで作りました。そして今日、復活の主日の朝から受け渡しを始めました。教会学校のこどもたちも手伝ってくれて、1000枚作成して720枚がもらわれていきました。続きは来週の土日(4/23(土)、4/24(日))です。
ご寄付協力のお願い
ウクライナの子どもたちのために、父母会として何か出来ないかを考えました。気持ち
を形にして届けたく、このたびトートバックを作成しました。
トートバック 1 枚、1,000 円以上のご寄付をお願いいたします。
【寄付先】イエズス会難民サービス(JRS)
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