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キリストの聖体

聖書朗読:ルカ9:11b〜17

 

初めに、教皇様の聖体の祝日の説教からです。

弟子たちの態度は人間的です。群衆はもうイエス様から良い説教を聞いて病人を癒したのだから、あとは自分たちで、何とかするでしょう、と弟子たちは考えます。

イエス様の態度は違います。イエス様は御父との一致、群衆へのあわれみを示します。イエス様は、5つのパンを見てこれこそ摂理だ、と考えます。そして「人々を50人ずつの組にして座らせなさい。」と言われます。これは偶然のことではありません。居合わせた群衆は、神のパンに養われる共同体になります。イエス様は天の父に完全に身をゆだねます。そして、パンを取り、天に目を上げて祝福の祈りを唱えます。これは明らかに聖体を意味します。そして、イエス様はパンと魚を割いて弟子たちに与え始めます。弟子たちもそれを配ります。パンと魚はまったく不足することがありませんでした。

パンと魚が増加した以上に、信仰と祈りによって分かち合いが行われたこと、これこそが奇跡です。全ての人が食べても、まだ余りました。これがイエス様のしるしです。イエス様は人類のための神のパンだからです。キリストの聖体の祭日は、私たちが回心して神の摂理を信じるように求めます。自分に閉じこもるのではなく、少しでも、持っているものを、分かち合うことが求められます。

主聖堂の聖櫃 カトリック麹町聖イグナチオ教会

次に、このイエス様の教えが実践された例をご紹介します。戦後すぐアメリカに渡って、結婚された女性のお話です。アメリカは日本に比べれば豊かでしたが、アメリカ人も必死で働いて生きる時代でした。彼女の家族も、1カ月分くらいの食料をまとめ買いして慎ましく生活していました。アメリカは肉食文化。当時は、20ドルで牛半分とかいう時代でした。あるとき、職場の同僚が、工場で誤って指を切断して首になってしまいました。彼女がふと思いついたのが、今日の福音にもある「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」でした。彼女は、その言葉をどう実践できるか考えた末に、買いだめしていた肉を彼女に全部プレゼントしました。彼女も、家族があってその肉がなくなると困りましたが、向こうの方がもっと大変だと思って全部さしあげました。その時に、困っている人に彼女はこう言いました。「日本人はすぐにお返しとかお礼と考えるけど全くいりません。もしお礼をするんだったら私ではなくて、もっと困っている別の人に恩返しして上げてください。私にはいらないから。」 彼女は家に帰ると、そのことは済んだこと、にしました。

それから10年位して、見知らぬ人が小さなお菓子を持って自分を訪ねて来ました。全く知らない人でしたが、家に入ってもらって話を聞いから、こう言いました。「私は何年か前に困っている時に助けられました。その助けた人の話を聞いたら、その人も実は助けられていました。私は、助けてもらう人のつながり(連鎖)で助けてもらっていることが分かりました。でも、私はどうしても最初の方にお礼を言いたいので、たどって来ました。すると、一番最初があなただった。あなたが、1か月分の大きなお肉をプレゼントしてくれたから、その愛が別の人を助けて・・・、わたしが最後なんです。」10年経っているので、どれだけの人に愛が広まったか分かりません。たどってきたら彼女が最初でした。  この女性の話はパンの増加の話と響き合います。愛は、はじめ小さくても広がります。

何かを思い切って人のために差し出す。それも見返りを求めない心で差し出す。そうすると、一つの善意が、キリストがパンを増やされた奇跡のように、広がっていきます。イグナチオ教会の私たちの中でも1つの愛がどんどん増えることを願ってミサを続けましょう。


 

参考資料




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