福音朗読:ヨハネによる福音1:1~18
「神様の言葉が肉となって私たちの間に宿られた」(14節)、神様の愛が人間の姿を取った。ヨハネ福音書は、「受肉」をテーマに神様の救いを詩的に描いています。ルカ福音書やマタイ福音書のように、マリアとヨセフが苦労してイエス様が産まれた経緯を書いていません。
イグナチオの「受肉」の黙想です。
神様は、ご自分で造られた地球とそこに住む人々を天からご覧になります。白人もいれば黒人もいます。ある人は平和のうちに、ある人は戦争など苦しいさなかにいます。ある人は泣き、ある人は笑っています。健康な人もいれば、病人もいます。生まれたばかりの人もいれば、死に掛かっている人もいます。神様は、人が傷つけたり殺したりしていることに心を痛めます。そして、ご自分の子を地球につかわすことを決心します。長い間もがいてきたイスラエルの民に救い主が生まれます。
「神様のみ言葉が人間の姿を取る」とは 神様のみ言葉が、現実の世界に立ち上がること。神様の救いは幼な子イエスの姿になって現実になりました。赤ちゃんイエス様の目はキラキラしていて、みんなの心を和ませ、希望を与えてくれました。神様の愛が、抽象的なもの、遠いものではなくて、目で見える、身近な存在になって、地上に降りてくださいました。今、ミサの中で赤ちゃんで生まれたイエス様をお祝いしています。
今年の待降節は、お病気であったり、ミサに来ることができない人との関わりが多くなりました。 岐部修道院に住んで赦しの秘蹟を授けてこられた桜井神父さんが先週の火曜日に入院されました。修道院長なので毎日お見舞いに伺います。 降誕祭前の日、お見舞いに行くと、二つの封筒を渡されました。10万円と5万円が入っていました。毎年クリスマスになると、お小遣いの中からイエズス会管区と岐部の共同体へ感謝の気持ちでお返しするもの、と渡されました。私だと、使い切ってしまいますが、倹約してお返しをする。素晴らしい修道者の姿を見せてくれました。
抗がん剤の治療中でミサに来られない方、お父様が弱られて介護をされている方もおられます。「救い主」の誕生の喜びを伝えたい。でもなかなか自分の力では難しいもの。私は、ヘンデルのメサイヤのCD、バッハのクリスマスオラトリオのCDをお送りしました。ヘンデルのメサイヤ(ヘブライ語で 「油注がれた者」 神の国の建設のために祝福の油を塗られる王様 )は救いの喜びを強い信念で表現しています。自分の弱さ、罪意識を遥かに超える救いの力を語ります。
CDをお送りした方からの感想です。
これから又1週間病院へ、放射線治療に通います。昨日は、頂いたメサイアを聞きました。とても良かったです。以前通っていた聖歌隊の時に歌った曲もあって、懐かし嬉しく思いました。治療は辛いですが救いの力を感じました。いつもありがとうございます。
お父様を介護されている方からです。
父は今年はイグナチオのクリスマスミサには伺えないでしょう。けれど何とかと家族でクリスマスの喜びを共に祝えるよう祈る毎日です。そして神父様が送って下さったヘンデル、メサイヤを父と聴きたいと思います。
金曜日の夜には、病院に緊急の塗油を授けてきました。大好きだったクリスマスオラトリオを聞いていただき、表情が変わりました。娘さんは「心の綺麗な母に、何よりのクリスマスプレゼントでした」とおっしゃられました。
教会でクリスマスのお祝いができない方に、「救い主」の誕生の喜びを伝えたい? 小さな努力をしていました。神様が働いてくださるのを願うばかりです。
では、私にはイエス様のご誕生の喜び、救い主は現れるのでしょうか?
12月23日に行われたクリスマス子ミサに参加した家族からの音楽メッセージです。小学1年生の子が、初見でバイオリンを弾いてくれました。バッハのカンカータ 第147番「人の望みと喜びを」。私の大好きな曲がプレゼントされました。「柴田神父様 クリスマスおめでとうございます」
子どものお祝いする心が、私にも救い主の誕生を実感させてくれました。
今、お病気の方たちにも、クリスマスの喜びが実感できたように思えました。
教会に来られている皆さんにも「受肉」 救い主イエス様のご誕生の喜びがありますように。「神様のみ言葉が人間の姿を取る」 ミサの中で、生活の中で実感できますように。クリスマス おめでとうございます。
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