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年間第11主日 種まきのたとえ(マルコ4:26~34)

 山口教会で司牧しているとき、農家をされている方が入門講座に来られていました。

 「どんな時に神様の働きを感じますか?」

 「種をまいて、1週間して芽が出てくる時です。蒔くタイミングとか、蒔き方とかにもノウハウがない訳じゃないけど、神様が働いたからこそ、芽が出たと思っています」

 イエスが福音で言われる、たとえ話と全く同じことを言われたと思います。イエスは、農作業をされる方たちの心をよく掴んでこのたとえを使われたんだな、と思いました。農夫が頑張ったとしても、神の働きを助ける人に過ぎません。芽を出させ、茎を伸ばさせ、穂を実らせるのは神様だと、イエスは言われました。神の国は、人間の目では見えないけれども、少しずつ確実に実現している、とイエスはたとえで語られました。けれども、このたとえ話はぶち壊されることもあります。



 2011年の東日本大震災の後に起きた原発事故です。「福島の農家の人たちが一生懸命努力して実った作物が売れない。福島産ということで売れない。」つまり、「神様が成長させたものが、売れなくなって」います。10年経った今でも、苦労されている方は多いと思います。作物が実っているのに、買い手がない。その原因は、原発事故後の風評被害です。支援してきた幼稚園の父母会長さんは、さらなる心配を嘆いていました(2012年の時点)。

幼稚園の子どもが「これは福島産だから嫌だ」と言っていました。福島産は他の県より劣っている。もっと悪く取れば「作ってはいけないのに作っている」と思っている子どもがいて悲しくなる。放射能汚染は、イエスがたとえ話を覆す出来事なのかもしれません。


 けれども2番目のたとえ話に、救いがあります。山口から連れてきた100匹のカブトムシの幼虫が岐部ホールでサナギになっています。このカブトムシは、初めて被災地のボランティアから帰ってから始めました。それから11世代目になっています。ヘドロかきを黙々としていたボランティア。その続きで、同じ姿勢で自然のカブトムシを掘り当てることになりました。教会と幼稚園のバザーに、つがいで販売しました。売り上げは、二本松の幼稚園にお送りしました。放射能から守る砂場小屋になりました。幼稚園のご家族で上手に育てた方から、卵と幼虫が戻ってきました。毎年、300〜400匹の幼虫を育て、成虫をつがいで販売し、また卵と幼虫が戻ってくる。次の夏に向けてまた育てる。これまでに育てたカブトムシは数千匹になります。始めた時には、ここまでの数になるとは思っていませんでした。

 「東北の支援のために何かしたい」 からし種のように、本当に小さな思いからでした。それが、11年続いて、都会の四ツ谷、岐部ホールの地下で育っています。成虫になったら、つがいでお分けして、今年は、日本に来られた難民の支援に当てようと思っています。

 先日、菊池司教様に、堅信式の打ち合わせに伺って、この取り組みを紹介したところ「是非、やってください!」と応援されました。

 困っている人のために、カブトムシを捕まえる、育てる。この繰り返しが、私の心も育ててくれました。このような、小さな取り組みから、大きな実りに成長するのも、神様のわざだと思います。


福島の二本松の幼稚園からは、「砂場遊びができるようになったのは山口のお友達のお陰」と思われていました。保護者からは「大変な思いをしているけれど、見ず知らずの方たちから、ありがたい支援をいただいている。また頑張る力をいただいている。いつかは自分たちもお返しがしたい。」と思われています。小さな支援活動が、感謝の心を膨らませています。福島の人たちを力づけ、いつかは恩返しをしたいと思われています。神の国が静かに、確かに実現するように思います。

 私たちの中にも、このような取り組みが発展するように、収穫の主に願いましょう。

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