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復活節第3主日 ヨハネ21:1-14

イエスさまが捕まって殺された後、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、ドアに鍵をかけて閉じこもっていました。そこにイエスさまが現れて「あなた方に平和があるように」と弟子たちゆるして、力付けました。ゆるされた弟子たちは、やっと外に出られるようになりました。そして、生活を作り直そうと漁に出ます。けれでも、一晩漁をしても魚はとれませんでした。

主聖堂ステンドグラス「魚と網」

そこにまた、イエスさまが現れます。イエスさまが現れるのは逃げてしまった弟子たちに叱るためではありません。慰めるためです。イエスさまの慰め方は言葉だけではなくて、中身があります。具体的な行いを通して弟子たちの心を動かします。

「とれなかった魚がとれる。」

ペトロには、2度目の体験で、主イエスだ、とわかります。


イエスさまの現れ方は、謙遜です。私たちならもっと強い態度を取るでしょう。「そうだ、私だ。どうしてすぐわからなかったのか? お前たちはいつもそうだ。鈍感だ」とせめてしまうでしょう。でも、イエスさまは、謙遜に弟子たちに仕えます。食事のために、炭火を起こし、魚とパンを並べて食事の用意までしてくださいます。


「さあ、来て、朝の食事をしなさい」

弟子たちはイエスさまの言葉をかたじけなく感じたでしょう。イエスさまは、裏切ってしまった弟子たちを許すだけでなく、食事まで気にかけてくださる。最後にイエスさまは、パンを取って弟子たちに与えます。ミサをされます。ミサは、最後の晩餐から始まりました。そして、大漁にしてくれて、食事まで用意してくれた後にもミサをされます。このように発展して、今のミサがあります。ミサは発展して続きがあります。


先週の火曜日、父の葬儀をしました。父もイエスさまのように、私をゆるし、励まし、慰め、そして使命を与えてくれました。最後に父と会った時です。

薬が効いているのか、呼びかけても反応がなくなっている父に帰り際、「お父さんありがとう。お父さんありがとう。お父さんありがとう。」と声をかけると、一瞬身体を起こして目を開けてくれました。私は「90年間、よく頑張られた、と神様が労って天の国に迎えられるよ。特等席が待ってるよ」と声を掛けました。すると「俺で入れるのか?」という表情をしていました。

主聖堂の折り鶴たち カトリック麹町聖イグナチオ教会

寛大で共感力豊かな父でした。父のような人ばかりだったら、どれだけ平和で、人情味がある世界になっているか。お父さんの優しさ、思いやり、心の中に刻まれています。

父は、「孫の顔が見せられなかったとか親のことは気に病まなくていい。自分の思うことを精一杯したらいい。戦争で傷ついた人を助けるように。世界が平和になるように、子どもたちに教えたらいい。」と送り出してくれました。使命を与えてくれました。


私たちは、イエスさまからも、家族からもかたじけないほど愛された体験があります。ミサは、そのシンボルで続きがあります。

復活されたイエスさまが、慰めに来てくださること。亡くなった人たちからも慰めいただけるよう願ってミサを続けましょう。

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