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年間第31主日 今日救いが訪れた

福音朗読:ルカによる福音 19:1~10

 

ザアカイは、ヘブライ語で言うと「正しい者」「清い者」という意味です。しかし、徴税人の頭でした。徴税人は、自分たちが儲(もう)けるために、本来の税金より多くの税を人々から取っていました。ユダヤを支配しているローマ帝国のために、税金を徴収する上に、人々から騙し取っていました。ユダヤ人からすれば、裏切り者でした。


一方、ザアカイは「自分の人生これでいいのか?」考えていたのでしょう。徴税人の頭として財産は築いたけどこれでいいのか? 罪人のレッテルを貼られたまま人生を終わるのか? 生き方を探していました。そして、病気を癒し、罪人に対しても差別をしない、イエスの評判を聞いて「この人に会いたい」と思います。「自分もイエスに会えば、何か変わるかもしれない」と期待しました。イエスさまとの出会いで人生が変わるかもしれない期待を持っていました。背が低かったザアカイはなりふり構わず、イエスを一目見ようと木に登りました。


そのザアカイを見たイエスさまの言葉は印象的です。「今日、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 イエスは、「また今度」とか「次の機会に」とは言いません。「今日」と言います。「今日」は、昨日と明日に挟まれた平凡な1日ではありません。神様が働いて、人生がダイナミックに変わる救いの日です。


クリプタへ下りる階段のステンドグラス

この「今日」という言葉がルカ福音書にはたびたび出てきます。

幼児イエスが生まれるときには「今日あなた方のために救い主がお生まれになった。」(2:4)

公生活の初め、故郷ナザレでの説教では「この言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(4:21)

そして十字架上では回心した盗賊に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(23:43)と救いを告げます。

ルカは、「恵みの時」が「いつか」ではなくて、「今日」来ると言っています。

長年、待ちに待ったこと。もう諦めていたことも、「今日」起こる、とイエス様は言われます。そのためは、条件があります。回心やアクションを先延ばししないで「今日」することです。


私たちの大きな誘惑は、何か良いことをしようと思いついても、(もっとよく祈りたい、もっと勤勉でありたい、赦したいなど)、明日しようと考えてしまいます。けれども、それではダメです。「恵み」も「回心」も「今日」のことだとルカは言っています。

「今日」私たちは赦さなければなりません。「今日」私たちは神の恵みを受け入れなければなりません。いつかでなく「今日」私たちは希望しなければなりません。「今日」私たちは変わらなければなりません。ルカ福音書にある「今日」と言う言葉にはこのような意味がこめられています。


イエスさまの「今日、あなたの家に泊まりたい」という嬉しい言葉に、ザアカイは「財産の半分を貧しい人に施します。だましとっていたら4倍にして返す」と即答します。「しばらく考えさせてください」とは言いません。もう財産はなくなってもいい覚悟です。ザアカイは素早いレスポンスでイエスに応えます。それを見たイエスは「今日、救いがこの家に訪れた。」と、救いを宣言します。あっという間に、ザアカイの人生は変わりました。


ルカ福音書にある「今日」。「回心の日」「救いの日」が私たちにも「今日」実現するように願いましょう。神様の呼びかけに、先延ばししないですぐに応えられるように願いましょう。

 

10月30日 年間第31主日ミサは、結婚感謝ミサでした。



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