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主の降誕の祭日 日中のミサ

福音朗読:ヨハネ1:1~5、9~14

 

導入

 昨晩、みことばが、幼子イエスとしてうまれました。この“受肉“の神秘をわたしたちが少しでも理解することができるよう願いながらミサを始めましょう。


説教

今朗読されたヨハネ福音書は、神が人間の姿を取る“受肉”を美しく語っています。「み言葉は人となり、わたしたちのうちに宿られました」 クリスマスは、み言葉が実現した日です。人となられた神、イエスの命が躍動し始めた日です。今日は、“受肉“について考えます。


長崎教区の古巣神父さんの話です。ゆたかくんは、急性白血病を患い7歳で無菌室に入ることになりました。生まれた尾道を離れて専門医療が受けられる博多に家族も移り住みました。借りたアパートで、ゆたかくんはお母さんと母祈りました。でも、髪の毛は抜け落ちていきます。抗がん剤の拒絶反応で意識がもうろうとしているゆたかくんはわたしに聞いてきました。「ねぇ、どうしてイエス様は人間になったの?」


核心に迫る問いをわたしに投げかけてきた。古巣神父さんは、答えを探しましたが出てきませんでした。机上の答えはむなしく感じた。3週間後にゆたかくんを天使が静かに天に連れていきました。その後、ゆたかくんの書き留めたノートが出てきました。


「僕ののどが痛い時、影法師の女の子も一緒に痛んでくれた。僕が叱られる時、影法師のあの子は僕と一緒に叱られてくれた。」


「どうしてイエス様は人間になったの?」の問いにゆたかくんは答えをもっていた。


幼子イエス様がうまれた馬小屋

どんな時にも、ゆたかくんの影法師になっていた、イエス様。癌に苦しむ7歳の男の子が、受肉の意味を理解していました。人間の苦しさを共にするために、神様は小さいイエスとしてお生まれになりました。


泊るところもなくて、馬小屋で生まれて、成長すると大工さんの仕事をして、弱い人を助けて妬まれて、最後は十字架上で殺されて亡くなりました。受肉したイエス様は、全ての人間の悲しみを体験しました。神様は本当に「私たちと共におられる神」になられました。


私は「共におられる神」を感じているだろうか? 心の中を見ると、働きづめで出涸らしのお茶のよう。心が伴ってない奉仕を続けているのを感じていました。


そんなか、先程、教会に遊びにきている教会学校のお母さんと娘さんに出会いました。


カブトムシが好きな女の子だったので、作り置きのカブトムシのチョコをプレゼントしました。するとすごく喜んでくれて、「教会に来て良かった」「神父さんに会えて良かった」とニコニコの笑顔になりました。子供の笑顔には特別な力があります。


誰か、人に喜ばれることをすると、心が柔くなって、神様を感じられます。 神様は「私たちの中におられる」と感じられます。 幼児イエス様のキラキラした眼差しを見た人たちも、希望と優しさを感じたことでしょう。


明日から年の黙想、より神様を感じられる黙想になるようにお祈りくださると嬉しいです。


皆様にとって「私たちと共におられる神」を感じられるクリスマスになりますように。クリスマスおめでとうございます。









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