福音朗読:マルコによる福音1:1~8
第1朗読のイザヤ書は「慰めの書」と呼ばれています。
「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる」
神様は慰める方です。どのように民を慰めたかというと、紀元前6世紀、バビロンで捕囚にされていたイスラエルの民は、エルサレムへと還させる時、特別な近道を神様がお作りになりました。普通はユーフラテス川沿いに北上するルートを使うのですが、民を慰めるために、まっすぐ西に進ませる道を作って、早く帰国させてくれました。
神様は抽象的なことを語るのではなく、中身のある実感できる「慰め」を与えてくださる。イザヤ書では繰り返しそのことが語られています。
福音書では、洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼を受けに、ユダヤ全土から人々が押し寄せていました。集まった人たちは、自分自身では律法を守れない、惨めさを自覚した人たちでした。洗礼を受けるまで、何時間も、何日間も待たされました。待っている間、自分たちの罪を思い浮かべて、それでも、何とかして救われたい、この洗礼にすがって生まれ変わりたい、と思いながら並んでいました。
「何とかして救われたい、でも自分には自分を救う力がない。」同じ体験がわたしにもあります。
今から25年前。名古屋で営業の仕事が忙しかった頃、夜10時の南山教会のミサに与りました。9時まで仕事をして、その日最後のクリスマスイブのミサに何とか間に合いました。 満員で立ち見でした。でも、「自分にはクリスマスのお祝いは訪れないのでは?」と内心不安がありました。というのも、やっと与ったこの前のミサで「日本人は働き過ぎ。日曜日は休んでミサに来なくてはいけない」と説教されたからです。日曜日に仕事をするわたしには救いがないような、がっかりした気持ちで帰っていました。 けれども、その日の説教は違いました。
「クリスマスイブのミサに来られた皆さんは、必死で頑張っておられる。それなのに、誰も認めてくれない、労ってもくれない。なんのために生きてるんだろう?そう思ってる方もいるかもしれません。そんなあなたのためにイエス様はお生まれになりました。イエス様がお生まれになって最初に掛けられた言葉は「おめでとう」でした。皆さんも同じです。「おめでとう!」と言ってお祝いしてもらいました。
頑張っても報われない、自分なんて価値がない。その思いを拭い去るためにイエス様は生まれるのです。あなたもイエス様と同じ、「おめでとう!」と歓迎されてます。クリスマスはこの「おめでとう!」を思い出す日です。大人になった今のあなたを神様は「おめでとう!」とお祝いしてくださる。洗礼がその時でした。新しい命をいただきました。そして頑張っていることを労ってくださる。神様からのお祝いの声を聞きましょう。それがあなたのクリスマスです。」
私たちの誕生の喜びを思い出すために、イエス様は幼な子として誕生する。受肉の1つの理解です。
神様は慰める方。クリスマスに慰めを期待しましょう。慰めをいただける良い準備をしましょう。
個人的には音楽を聴いています。
イエス様の誕生のお祝いを音楽家たちが表現しています。神様は、慰める方。絵空事ではなく、中身のある慰めをくださる方。そう実感できるクリスマスになりますように。
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