福音朗読:ヨハネによる福音書20:1~9
朗読された福音は、復活の主日に毎年読まれる箇所です。
マグダラのマリアほどイエス様を一途に愛した女性はいませんでした。
明け方、女性が一人でお墓に行くのは当時危険な行為でした。でも、そんなことに構っていられないほど、マグダラのマリアはイエス様の亡骸を見たさ一心でした。ペトロとヨハネは、不安を抱えてお墓に走ります。一緒に墓に入った二人は、目の前にきちんと整えられた布を見て驚きます。それぞれが空の墓を受け止めました。でも、深く動揺しています。イエス様が十字架上で殺され、墓からも取り去られて、混乱しています。
私たちは、それから後、復活されたイエス様が弟子たちに現れたことを知っています。数ヶ月したら、命を賭けて、福音を宣げ知らせるほどに変わることを知っています。
では、1年前の自分と比べて、今の自分はどのように変わったでしょうか?マグダラのマリア、ペトロ、ヨハネのように、ガラッと生き方が変わったでしょうか?
昨年の今頃、復活祭の2日後に、父が亡くなりました。大学を出た私は、父と同業の仕事をして、困った時には父からアドヴァイスをもらいました。会社の上司よりはずっと説得力があり、手堅い方法を教えてもらい、トラブルは全部解決できました。
ところが、12年働いて、私はイエズス会に入って司祭になりたいと考えます。自分の気持ちを打ち明けた時の父の衝撃はとても強かった。家族で信者は私だけです。父は、四ッ谷のイエズス会の管区本部に、断りに行こう、と考えていました。
「息子は一人しかいない。後継がいなくなる。それは勘弁して欲しい。」
「自分の息子でなければ、こんな理不尽な話は認められない。」
でも、最後は息子が願う道ならば、と許してくれました。
その時「イエズス会に入っても、違うと思ったらいつでも戻ってこい。これがおまえの家だから。」と畳を叩きながら送り出してくれました。
司祭叙階式には、このイグナチオ教会に両親が来てくれました。
「お前が選んだ道は、私にはわからない大きな意味があるんだろう。来て良かった。」と言ってくれました。
けれども、私の心の中には、父への申し訳なさがずっとありました。
昨年の聖金曜日、だんだんと弱っていく父を見舞いました。その時、自分の気持ちを伝えました。
「お父さんが望んだ道を進めなくてごめんなさい。孫の顔を見せられなくてごめんなさい。司祭の道、進みたい道を許してくれてありがとうございました。」と言いました。
すると父は、左手を挙げて「いいよ、気にするな」とジェスチャーで示してくれました。父は、ゆるしてくれていました。私が選んだ道を認めてくれていました。父への感謝と、前に送り出してくれる父への感謝の気持ちでいっぱいになりました。父は、私の荷を軽くしてくれました。
それから1年経ちました。1年経って、教会の仕事も段々と慣れてきました。聖なる三日間の典礼では、手応えも感じました。聖堂係、侍者会、聖体奉仕、朗読奉仕、渡辺助祭に歌の稽古もつけていただいた聖歌隊、配信チーム、マルマリの皆さん、生花グループの皆さん、評議員、そして司祭の皆さんができることを精一杯されました。皆さんが協力して作り上げる典礼になったように思います。何より、コロナがあって、人数制限していた教会に信者さんがこのよう(600人くらい)に戻ってくださいました。
父が私の荷を軽くしてくれた体験から1年経って、聖なる三日間の典礼を変えてくれました。
弟子たちは、逃げ去っても恨めしいことを言わないイエス様に直接会うことができました。直接、ゆるしていただきました。温和で謙遜なイエス様に直接会うことができました。
私たちは同じ聖書の箇所を朗読はしますが、だからと言って同じ典礼を繰り返しているわけではありません。違う体験をします。「荷が軽くなって」「ゆるされて自分が豊かになる」体験をします。イエス様のご復活を祝い、新たにされます。復活節は始まったところです。これからイエス様を感じ、弟子となれるように大いに期待しましょう。
「ご復活、おめでとうございます」
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