福音朗読:ヨハネによる福音10:11〜18
今読まれた「羊飼い」と「盗人」のたとえは、前の9章とつなげて読む必要があります。前の9章で、律法学者を敵に回しても、危険を顧みずに盲人を癒したイエスが「良き羊飼い」です。一方、苦しんでいる人を見ても論争をして何もしない宗教的エリートが「盗人」とです。
イエス様は、身近なたとえで、自分が救い主であることを伝えました。
今日は、朗読された14章を子ども向け、大人向けで考えてみました。
こどもたちのために
「良い羊飼」のたとえを子どもたちこのように説明しました。
〜良い羊飼いと見失った羊の例え話の紹介〜
「イエス様は、良い羊飼いです。貧しいけれども、心がとてもきれいな人です。」
「良い羊飼いは、たくさんの羊を飼っています。たくさんの羊がいますが、1匹、1匹の名前をつけて大事にしています。」
「いつもは安全な柵の中で飼っていますが、美味しい草や、美味しい水のあるところに羊たちを連れていきます」
「美味しい草や、美味しい水があるところに連れて行く時、1匹、1匹の名前を呼んで外に出します。」
「良い羊飼いは、羊をとても大切にして、愛しているので、羊がたくさんいても、ちゃんと1匹、1匹をお世話します。」
「羊は、良い羊飼いの声を知っているので、呼ばれたら柵から出てきます。」
「全部の羊が柵から出ると、良い羊飼いは先頭に立って案内します。」
「途中で、危ないオオカミが出てきたら、良い羊飼いは、命懸けで羊たちを守ります。」
「良い羊飼いは、羊を守るために命を捨てます」(ヨハネ9:11)
「美味しい草のあるところに来ました。羊たちはもぐもぐたくさん草を食べます。」
「十分食べたら、今度は美味しい水のあるところに連れていきます」
「美味しい水のあるところに来ました。羊たちはごくごく美味しい水をたくさん飲みました。」
「ところが、1匹の羊が、美味しい水のところに残ってしまいました」(1匹の羊が群れから離れます))
「美味しい草も食べて、美味しい水も飲んだので羊たちは元の柵のところに帰ります」
「よい、羊飼いは、柵に入るときに、1匹、1匹の名前を呼びます」
「あれ! 1匹いない! 探しに行かなきゃ!」
「良い羊飼いは、柵の中に99匹を入れて、迷子の1匹を探しにいきます」
「どこだろう? どこだろう?」「そうだ、美味しい水のところだ!」
「良い羊飼いは、美味しい水のあるところまで、全力疾走です。もし、狼に見つかったら大変だからです」
「走って、走って・・・いた! 良い羊飼いは大喜び!」
「お前はどこに行ってたんだ! どうして勝手なことしたんだ!」と鞭で叩くことはしません。 肩に抱えて大喜びで帰ります。
「柵の中にいた羊たちも、1匹が帰ってきて大喜び!」
「良い羊飼いの声は遠くまで響くので、やがて、ここにいる羊だけでなく、世界中の羊が良い羊飼いの群れに集まってくるでしょう。」(キリスト者の共同体が広がる)
「羊」は私のことです。イエス様は、たくさんの人がいても、私たち一人一人を大切にしてくださいます。危ないことから命懸けで守ってくださいます。 迷い出た私を全力で探してくださいます。」
ここまでは子ども向けの話ですが、次は大人向けの話です。私たち「羊」はどうしてらいいでしょうか?
「良い羊飼いの声」と「盗人の声」をどのように聞き分けたらいいでしょうか?
大人のために
「良い羊飼いの声」は「慰めの声」です。神様は慰める方です。だから、神様の声はいつも励ましです。 辛い時にも、慰めと励まし、勇気を与えてくれます。
これに対して「盗人の声」は、「あなたはもっと頑張らなきゃいけない」とプレッシャーをかけてきます。困難にあうと「諦めたらいい」と安易な方に誘います。
生活に当てはめると、このように言えます。
私たちが「やらないといけないことのリスト」を作るのは、盗人の声に聞き従うことになります。このリストは際限がなくなって、途方もなく感じてしまいます。フラストレーションを生みます。作った方がいいのは「神様はどこで、私たちに慰めを与えておられるのか?」を見つけて、リストを作ることです。聖霊が私たちにどう働いているのか? 神様はどのように私たちを慰めてくださっているのか? を探します。これが良い羊飼いの声に聞き従うことです。
作りやすいからといって「課題のリスト」を作るのはいいやり方ではありません。慰めの声、励ましの声を聞いて「恵みのリスト」を作りましょう。
「良い羊飼い」の声を聞いて、慰められ、励まされて復活節を過ごしましょう。そして、私たちも慰めの言葉、励ましに言葉を囲いの外にいる人たち掛けて、共同体に招き入れましょう。
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