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灰の水曜日(マタイ6:1-6, 16-18)


皆さん、私たちは今日から四旬節に入りました。教会は、「回心」を呼びかけています。「回心」「悔い改め」と聞くと、気が重くなる、ネガティブに受け取る方も多いかもしれません。けれども、キリスト教は「罪」を「罰」を結びつけるのではなく、「罪」と「恵み」をセットで考えます。「罪」を意識することは、「神の恵み」に近付くことです。「回心」の目的は、「自分の罪」に打ちひしがれるのではなく、「信仰の恵み」を新たに実感することです。

灰の水曜日ミサで使用する灰と聖水

そうは言うものの「罪」は人間を悲劇に陥れてもいます。ウクライナとロシアの問題です。

2月28日に開かれた国連の緊急特別会合で、ロシアによるウクライナ侵攻をめぐって、ウクライナのキスリツァ国連大使は、死亡したロシア兵の携帯電話に残された母親とのメッセージのやり取りとする内容をロシア語で紹介しました。

国連大使はメッセージを読み上げます。


 母親「本当に訓練中なの?」

 兵士「母さん、僕はもうクリミアにはいないんだ。訓練じゃない」(略)

 母親「何を言っているの? 何が起きてるの?」

 兵士「母さん、僕はウクライナにいるんだ。本当の戦争が始まっているんだ。怖いよ。一般市民もターゲットにして攻撃している。人々は僕らを歓迎してくれると聞かされていたんだ。でも、彼らは僕らの装甲車の下に身を投げて、先に行かせないようにしている。僕らをファシストだと呼んでる。母さん、とてもつらいよ」


演説の本題に入る前に内容を明らかにしたキスリツァ氏は、このロシア兵はメッセージを送った直後に死亡したと説明。双方で多数の人が既に亡くなっていると指摘し「死亡した人々があなた方の横にいると想像しながら、私の演説を聴いてほしい」と訴えた。

【ニューヨーク隅俊之】 2022年3月1日 毎日新聞


真実をねじ曲げて、兵士を戦場に送り込む。そんなことはもうないと私たちは思っているかもしれません。でも、残念ながら、このような「罪」が悲劇み続けています。

私たちも「罪」と無関係ではありません。「自分さえ良ければ・・・海外のことには無関心だ」「何もできない、と諦める」そんな「罪」の世界からどう「恵み」の世界に移ったらいいのでしょうか?


 

参考:カルロ・マリア・マルティーニ枢機卿指導イエズス会管区黙想会2000年3月8日(水)ミサ説教より



灰の式。2022年2月3日灰の水曜日ミサ

ヒントは、福音にあります。「隠れたことを見ておられる父が報いてくださる。」という言葉です。

イエス様は重要なこととして、3回も繰り返しています。私たちは、毎日たくさんのことをします。そして、時には満足もします。人から褒められたり報いを得ることもあります。けれども、誰からも報いが得られない、そのような時が肝心だ、とイエス様は言われます。人が見ていない時こそ、私たちは神のみ前に真実です。


私たちは、霊的に大きく進歩する時があります。それは、やっていることの報いがある時ではありません。行っていることの意味や実りをはっきりと理解できない時が、神様のみ前に真実なのです。人生の中で、この様な体験ができることが私たちの救いになります。

「私は主のみ前に真実で、主もまた私を知っておられる。主は密かに私に報いてくださる。」

私たちにはこのことが分からないかもしれませんが、私たちの前にある事実です。そして、私たちは、見えないことが見えることよりも豊かであることを理解し始めます。私たちの日常に永遠の命が入り込みます。この様な瞬間を体験できる時、大きな喜びとなります。私たちは、「神の恵み」がどの様に自分に働いているかを経験します。


灰の水曜日は、「罪」を意識しながら「神の恵み」に近づくことです。隠れたところを見ておられる父に向かって、四旬節を歩み始めましょう。

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