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生きるパン 年間第19主日

自分をパンとして、命のパンとして食べさせる。そんな発想は聞く人には通じませんでした。心の渇き、信仰の渇きがあっても、それを食べることを通して満たす、という発想はありませんでした。 

イエス様は心の渇き、信仰の渇きを満たす恵みを「ご聖体」という秘跡によって表してくださいます。秘跡とは、目で見えない神様の恵みの目に見えるシンボル。神さまの恵みが今日も私たちにご聖体を通して届きます。


「わたしは天から降って来たパンである」

イエス様は、ご自分の人格(ペルソナ)をパンを通して私たちに与えます。


ご聖体で私たちを養ってくださるイエス様とは、生活の中でも出会います。助けを求めて苦しんでいる兄弟姉妹の中にイエス様がおられます。


フランシスコ教皇は言われます。イエス様のパンによって養われた人は、日々の糧を得られない人(自由・希望・将来の夢が描けない人)に無関心でいることはできません。



マザーテレサの2回の聖体拝領(フィリピンでの講演の中から)

今日わたしは2回聖体拝領をしました。一回目は、行き倒れの人を施設に連れて行き介抱したこと。2回目がミサでの聖体拝領。

困っている人を助けることは「聖体拝領」です。「聖体拝領」はラテン語でコムニオ、一致の意味です。イエスと一致する、仲間と一致することは「聖体拝領」と言えます。


最近、修道院の年配の神父さんの施設を探すことがありました。

施設を見ながら感じました。「人のため」に働けるのとは幸せなことだ、と。

「誰かに喜んでもらいたい」「助けたい」「役立つことがしたい」

気持ちの源が「生きるパン」「命のパン」だと気づきました。


今は平和旬間です。7月のお配りしたカブトムシから、卵が生まれ、幼虫になっています。カブトムシは、難民支援のためです、今年も30万円をこえる募金が寄せられました。カブトムシを育てるときに、心に刻んでいる2つのお祈りがあります。どちらも難民のお友達のためのお祈りです。

りまちゃんのお祈り。


「こまっているおともだちが あぶないくにから あぶなくないくにに もどれますように」


難民とは言わず、こまっているおともだち、と表現しています。クリスマスの時期、自分の欲しいものを我慢して難民のお友だちのために募金してくれました。

もう一人、みゆうちゃんの運動会の後のお祈り


「せかいじゅうの おともだちが うんどうかいできる へいわがきますように」


今日は運動会できて幸せでした。応援ありがとうございました、というお祈りが普通です。でも、みゆうちゃんは、運動会できる平和が広がることを願ってお祈りしました。 子どもたちは、飾ったりしません。わかりやすい言葉に自分の思いを注ぎ込みます。

ミサでイエス様の体、命のパンをいただく私たち。自分だけのためでなく、二人の園児さんのように平和への願いを広げていきましょう。平和を願って、平和を築いていきましょう。



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