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2つの旗 年間第21主日

今日は「選び」をテーマにお話しします。


第1朗読のヨシュア記では、ヨシュアが、イスラエルの民に「どの神に従うのか?」と問いかけます。

民は、奴隷だった時 主がエジプトから導き上った救いの出来事を思い出して「イスラエルの神である主(YHWH)以外には従うつもりがない。」と答えます。ヨシュアのように「私たちも主に仕える。この方こそ、私たちの神です」とはっきり信仰を宣言しています。民は「どの神に仕えるか? 今日、自分で選ぶ自由」を持っています。私たちも同じです。


イエズス会に入ると、2年ある修練の1年目の秋に、大黙想、1ヶ月の黙想をします。「どの神を選ぶのか?」に似た選択をします。

霊操136番に「2つの旗」の黙想があります。

この世の指導者の旗の下に集まるか?イエス様を指導者として選ぶのか?という選択です。





この世的な指導者はルシファーと言って、以前は天使でしたが、偽りの光を与えて人間をそそのかします。ルシファーは、富・名誉・プライドを使って悪の道へ誘います。富そのものは悪くありません。しかし、富を得ると名誉が欲しくなります。「自分はこれだけのことをしたんだ」と名誉心を煽ります。名誉心を持つと高慢になります。 自分が主(あるじ)で人に仕えることを要求します。 成功しているように見えても、人を踏みつけていきます。 ルシファーに従うとそのような人生になります。

主聖堂 平和のあいさつをするイエス様のご像

一方、イエス様は神の子にも関わらず、貧しい人に仕えます。 無償で人を癒し、病や苦しみから解放します。それでいて妬まれて、十字架につけられてしまいます。 良いことをしながら辱めを受けます。 どちらの指導者の旗のもとに集まるのか? 「2つの旗」の黙想では選択を迫られます。


私は、黙想をしながら、名古屋支店の営業マンだった頃を思い出しました。営業課長に昇進が決まったときの上司を思い出しました。 上司は「お前がやりやすい営業所に就かせよう。優秀な部下を当てがおう。その代わりに見返りが必要だ」と誘ってきました。 上司の誘いに乗るか? 悩みました。 確かに、課長になっていきなり低迷するよりは、やりやすい環境で順調なスタートを切りたい。 でも、お金で報酬を払うのはどうなのか? どうしようか迷っているうちに、その上司の思惑を超えたところで、配属は静岡支店になりました。 当時の上司は、恩を売って見返りを求めるルシファー、偽の指導者でした。 


一方のイエス様はまだ憧れの存在。どんな方なのか? リアリティはありませんでした。 それでも「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ福音書 11:28)と誘うイエス様についていきたい望みが湧きます。 この世で実際に会うことはできませんが、折に触れて、イエス様を感じながら司祭の道を歩みたい。そんな思いで、イエス様の旗のもとに集まることを決めました。


今、ミサに与っているみなさんはいかがでしょうか? 富・名誉・プライドを使って悪の道へ誘うルシファーを選ぶでしょうか? 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と謙遜に仕えるイエス様。「自分の命を引き換えにしても貧しい人を助けるイエス様」を選ぶでしょうか?

ミサの式文が変わる前、聖体拝領前の信仰告白でこう唱えていました。

「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」

他の神、他の指導者は選ばない、と宣言しています。 謙遜に仕えるイエス様についていきましょう。


ミサの後、防災ヘルメットの使いかたを説明する柴田神父
ミサの後、防災ヘルメットの使い方を練習しました




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