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待降節第3主日

福音朗読:ルカによる福音3:10〜18


 

テレジアホール前 馬小屋

洗礼者ヨハネは、祭司ザカリアの子です。祭司の息子だから、普通なら世襲でヨハネも祭司になったはずでした。旧約の時代は、祭司の仕事は、いけにえをささげる神殿中心主義でした。ヨハネは、父のように祭司として生きても形式的な信仰になってしまうことに気づきます。


ヨハネはエルサレム神殿とは正反対のユダの荒野に行きます。全く違うところで、どう生きるかを考えました。彼は、水で心を清める決断をします。それは、ユダヤ教ではリムレという神殿参りの直前に身を清める儀式の発展です。ヨハネはそれを荒野に持ってゆき、身を清める儀式を違う形でよみがえらせました。神殿でささげ物を買うのに、子羊一匹でも大した額になります。だから、大多数の人は神殿に行けません。ヨハネのもとに集まったのは、貧しいけれども真剣に生き方を変えたい人たちでした。


今日の福音では、群衆、徴税人、兵士、それぞれが「わたしたちはどうすればいいでしょうか?」

真剣に生き方をヨハネに尋ねています。そして「規定以上に取り立てない」など具体的な指示をしています。


昨日、一昨日と、急な塗油の依頼があって出かけました。家族からの依頼、たまたま介護ヘルパーさんが信者さんで「危ないので塗油をお願いします」と依頼がありました。

病者の塗油は「わたしたちはどうすればいいでしょうか?」という時の1つの答えです。苦しい時に、神様にすがって生き方を尋ねています。

塗油を授ける時の、儀式書にはこのようにあります。(『カトリック儀式書 病者の塗油』P27 カトリック中央協議会)


「皆さん、イエス・キリストは病気の人、苦しむ人に特別の慈しみを示し、癒しと慰めを与えてくださいました。主の名によって集まったわたしたちの間に今、主イエスがおられ、使徒ヤコブを通してこう教えておられます。『あなた方のうちに病気の人がいるなら、教会の長老を招き、主の名によって、その人に油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰の祈りは、病気の人を救います。主はその人を起き上がらせ、もし罪を犯しているなら、その罪をゆるしてくださいます。』-- ヤコブ5:14〜15

塗油の前と後では様子が変わった方がおられます。塗油の前は、血小板が増えすぎて、右腕が紫色になって腫れて、紫に血が滲んでいました。腕がゾウさんみたいになっていました。「どうなることか?」と。でも、塗油のあと落ち着いて、一緒に喫茶店でシフォンケーキを食べられるようになりました。2025年の教会カレンダー(写真チームのご好意で病者の方にカレンダーをお分けしています)を眺めて「また、教会に行きたい」と言われています。


洗礼者ヨハネの洗礼は、「悔い改め」「心を神様に向けること」が中心でした。

でも、イエス様は「特別の慈しみを示し、癒しと慰めを与え、救い、罪をゆるしてくださいます」

洗礼者ヨハネが「わたしより優れた方が来られる」というのもわかる気がします。洗礼者ヨハネとは次元が違っているように思います。イエス様は、そこまでできるのは、わたしたちの罪を十字架で背負ってくださったからです。 


待降節第3主日ミサ 祭壇前の聖家族像

もう2週間したら、私たちは幼子イエス様の誕生を祝います。イエス様は、人間の苦しみ悲しみに寄り添うために、幼子として生まれました。神様は、いきなり大人のイエスを人類に与えたのではありません。無力な幼子として、小さな命として私たちにイエス様を与えてくださいました。

洗礼者ヨハネとは次元が違う恵みを与えてくださるのに、幼子としてお生まれになります。 

とても不思議で神秘的なことです。 


イエス様は「わたしたちはどうすればいいでしょうか?」という問いに、わたしたちの期待を超えて与えてくださる方。同時に、小さく生まれる方。


イエス様の誕生、神秘を前に、病者の塗油を受ける時にように、苦しみを打ち明けて神様に頼る、そのような心で残り2週間の待降節を過ごしましょう。

病者の方にも、イエス様のご誕生の喜びが感じられるように祈りましょう。

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