クリスマスおめでとうございます。
明日、明後日 4年ぶりに福島に行って浜通りを見てきます。
福音朗読:ヨハネによる福音 1:1-5, 9-14
ヨハネ福音書は、ルカ福音書やマタイ福音書のように、マリアとヨセフが苦労してイエス様が産まれた経緯を書いていません。
「神の言葉が肉となって私たちの間に宿られた」(14節)
神様の愛が人間の姿を取ったと書いています。
これまで、目で見えない遠い存在だった神様が、ご自分の子を地球に送った、と書いています。このことを「受肉」と言います。
今日はクリスマスについて2つの点からお話しします。
一つ目は「光」です。二つ目は「受肉」について。
まずは「光」についてです。
ここにランタンがあります。明るいですね。ランタンとランタン、くっつけたら もう1つのランタンの灯はつきますか?・・・「つかない」
では、このロウソク。ロウソクとロウソクを近づけます。火は・・・「つきます」
ロウソクの火は隣に分けることができます。
馬小屋で生まれる幼児イエスの「光」と重なります。
小さな命、小さなロウソクの火が羊飼いに、3人の博士に広がりました。天使を通して、人々を通して救い主の誕生の喜びが少しずつ伝わりました。大きなスポットライトでパッと伝わったのではありません。昨日のキャンドルサービスのように、一人一人手渡しで救いの喜びが伝わりました。
ロウソクの火は小さい命だけど、分け与えて広がる。神秘だと思います。ランタンの灯りは便利ですが、ロウソクのようには広がらない。イエス様から放たれる希望の光はロウソクのように一人一人に広がっています。その雰囲気を感じましょう。
私たち一人一人は小さいですが、小さな私たちを通しても希望の光が伝わっていくことを想像しましょう。
二つ目は「神の言葉が肉となって私たちの間に宿られた」
「受肉」についてのお話です。
「クリスマスに洗礼を受けたい」ご家族と勉強会をしてきました。待降節、洗礼の勉強をしながら、やがて来られる救い主の誕生を待ち侘びてきました。小学生の女の子の洗礼式での共同祈願です。
かみさま 今日 わたしたちがせんれいをうけられたことにかんしゃします。 せんれいをうけて、いままでよりもかみさまのそばでやくだたせてください。わたしの楽器のえんそうで、人の心をうごかせるように、心をこめてひきますので、かみさまがおこわれることをわたしにもてつだわせて下さい。 せかいがへいわになって みんながあんしんしてくらせるようにみまもってください。みんながお友だちにやさしくして 自分のことだけかんがえないで、人のためにもはたらくようになりますように。そして神さまがよろこぶことをするようになりますように。
「神の言葉が肉となって私たちの間に宿られた」
神の言葉が、女の子にも宿ったように思います。神様の愛が人間の姿を取った。神様の愛が女の子を通して示された。
「受肉」は、幼子イエス様の誕生の話だけではない。クリスマスは、私たちの間に神の言葉が宿ることを感じるお祝いです。「受肉」はイエス様だけでなく今も続いている。私たちにも神の言葉が宿り、肉の姿を取ります。
2000年前、イエス様の誕生の喜びはロウソクの火のように、一人一人に広がりました。
そして、神の愛は私たちにも宿ります。 繰り返し、繰り返し、広がって、宿っていきます。
その神秘をお祝いしましょう。クリスマスおめでとうございます。
Comments