福音朗読:ルカによる福音 2:22〜40
エジプトは、聖家族の日をカイロ市内にある、1つの木のもとに集まって祝うそうです。その木は、聖母マリアが疲れた時に休んだ木だという言い伝えがあります。また、アラブの人たちは初めて来た人たちを持てなす、ホスピタリティの精神にあふれていました。 聖家族も移り住んだ頃は、エジプトの人たちのお世話になっていたのだろうから、自分たちも住み慣れない人たちに奉仕しようと決心を新たにしているそうです。
それでは、聖家族がエジプトに移り住んだ、いきさつとその後の生活を考えましょう。
「占星術先生の学者にだまされたと知ったヘロデ王は、べツレヘム周辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺させました。」とあります。このヘロデは、有能な政治家でした。王として支配しながら、ローマ帝国とも上手い関係を結んでいました。政治、経済、軍事全ての面で権力を握っていました。だから「新しい王が生まれた」と聞いて強いショックを受け動揺します。彼は、有能でしたが、自分を脅かす者には残酷でした。自分の奥さん、奥さんの兄、奥さんのお母さん、おじさん二人、自分の息子も3人殺しています。だから「王が生まれた」と占星術の学者から聞いたときに、殺すことに迷いはありませんでした。
「天使から逃げなさい」と夢で告げられたヨセフ様に、もし迷いがあったらイエスはつかまって、殺されていました。際どい危機を逃れました。
エジプトに逃げた後、聖家族は今で言えば、命からがら逃げてきた政治難民でした。着の身着のまま、何の当てもなくただ逃げてきました。いつの時代でも、難民として生活することは大変です。生まれたばかりのイエスを抱いたマリア様は、子育てにどれだけ苦労されたでしょう。ヨセフ様は、言葉も、文化も違う中でどうやって仕事を見つけたのでしょう? 今のように、社会保障制度も、失業保険もない、頼れる親族や友人もない中で、どれほど苦労したでしょう。辛く貧しい生活だったに違いありません。それでも、ヨセフ様とマリア様は、ユダヤ教の伝統に基づく、祈りの生活を大事にしていました。辛くても、神様と共にいました。
イエス様は、両親の苦労を見て育ちました。親の言葉と周りの言葉が違うことにも気づいたでしょう。自分の家が他と比べて貧しいことにも気づいたのでしょう。貧しい生活の辛さを肌で知っていました。だからこそ、宣教活動の間、貧しい人、弱い人に特別の愛情を示しました。物質的な貧しさに引け目を感じることなく、むしろ、貧しい人とつながって生きることを学んでいきました。ヨセフ様とマリア様から受けた愛情に支えられてイエスは育ちました。このような家族を、今日私たちは聖家族としてお祝いしています。
今の時代、聖家族の理想を語れても、実現するのに苦労されているでしょう。朝早くから家族でミサに与る皆さんに、尊敬します。もしみなさんのなかで、「自分はクリスチャンの家族らしいことは何もできてない」と思われる方がおられたら、マリア様はこう言われるでしょう。
「私たちも同じですよ。確かに慣れない生活で苦労しましたが、あなたのご家族も信仰を生きに くい今の日本で頑張っていらっしゃるじゃないですか。うちのイエスの代わりに、お子さんを大切に思ってらっしゃるじゃないですか! よくやっていらっしゃいますよ。一言申し上げるとすれば、時々休むことが大切ですよ。私も、木の下でよく休みました。いろいろな愚痴や不満を神様に聞いてもらって癒されました。」
信仰を生きる難しさを聖家族はよくご存知です。この1年、家族にいただけた恵みに感謝しながら、新しい一年もクリスチャンとして生きる助けを願ってミサを捧げましょう。
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