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地の塩 年間第5主日

福音朗読:マタイ5:13~16

 

「地の塩」という言葉を、教会では普通に使っていますが、日本人には耳慣れない言葉です。しかしこれは、パレスチナでは背景があります。土の質を上げる、立派な野菜や果物を収穫するために、塩を混ぜていたそうです

日本ではそのようなことをしていないので「塩」の役割は、漬物(つけもの)を作るときのように、腐るのを防ぐことになります。そのためには条件があります。岩塩(がんえん)のように塊のままだったら、役目を果たせません。自分を溶かして、相手、漬物なら白菜に染み込まなければなりません。また、塩が多くなってもいけません。白菜の味を引き立てる、適量でなければいけません。塩が主張し過ぎてもいけません 


「地の塩」には、自分を溶かして、相手を生かす。このような意味があります。


ある日のミサでのお説教
ある日のミサでのお説教

わたしは、今週、あるカトリックの学校で、アンネの日記、アンネ・フランクを通して平和学習をします。その中で、アンネの家族を支えていたミープの話を取り上げます。

アンネの日記は、ご存知のように、

 

第二次世界大戦中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっています。ナチスによるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、15歳のアンネが、隠れ家に潜んだ8人の記録した日記です。『思い出のアンネ・フランク』という本からご紹介します。

アンネたちが「隠れ家」で2年あまり無事に生き延びられたのは、ミープをはじめとする、周囲の人たちの献身的な援助があったからです。食糧や日用必需品はもとより、「隠れ家」で時を過ごすために貴重な書物を届け、外のニュースを伝え、みんなの悩みに聞き役になり、気を紛らすために贈り物や催し事を工夫して、物質的、精神的、支援を惜しみませんでした。さらに、みんなが連行されたのち、アンネの家族を連れ戻そうとナチスの本部を訪れ、危険を冒して「隠れ家」に入り、アンネの日記やノート類を持ち出し、かけがえのない貴重な記録を救いました。つまり、ミープを中心とした人たちがいなければ、『アンネの日記』という素晴らしい人類の遺産は失われていたのです。


ミープと夫のヘンクはユダヤ人文化教育推進協会からの表彰式の際にこう言っていました。

「自分たちは単に、あの立場にいたら誰でもしたであろうことをしたに過ぎない。ナチに見つかれば殺されるとわかっている人たちを、みすみす見殺しにはできなかった。だから人間として当然のことをしたまでです。他の大勢のオランダ人が私たちと同じことをしていたのに、私たちだけが目立つことはしたくない」

と記者に語っています。


ミープ自身は、こう語っています。

占領下ではナチスに協力する者と、抵抗する者、2種類の人間だけだった。自分はたまたま抵抗する側にいたものの、特に勇敢に振る舞おうと意図した結果ではなかった。しかし、抵抗することが身の危険を意味したことを考えれば、やはり容易くできることではありません。

ミープは自分を溶かして、アンネの家族、ユダヤ人の中に入りました。アンネの家族をかくまい、日記がなくなるのを防ぎました。これだけのことをしても、自分は当たり前のことをしたまで、自己主張しません。 


ミープの言葉は、「地の塩」の意味を教えてくれます。ミープは、ユダヤ人迫害の極限の中で自分を溶かして、アンネの体験・思いを生かしました。

今週、高校生にアンネの話、ミープの話を紹介しますが、私たちも平和について考えていきましょう。




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