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神の母聖マリア

福音朗読:ルカによる福音:1:16〜21


 

マリア様は私たちの信仰の模範です。ただ、初めから完成されていたわけではありません。マリア様の信仰の歩みを考えます。


「この言葉(ガブリエルのお告げ)を聞いて、マリアは胸騒ぎがした」(ルカ1:29)


神さまの新しい世界に接してマリア様が受けた最初の衝撃です。マリア様も「一体何事が起こるか?」胸騒ぎを感じます。もちろんマリア様は、祈りの生活、聖書を読む習慣を身につけていました。しかし、今、神様が別の次元に連れて行こうとしているのを感じました。婚約していたヨセフとの平穏な生活が壊れるかもしれない恐れがあっても、神様の新しい働きに自分を任せる必要を感じました。


「わたしは主のはしため、お言葉どおりになりますように」(ルカ1:38b)


マリア様は神様の計画を全面的に受け入れました。マリア様は、神様からの召出しに応える模範です。

しかし、マリア様にとって「暗夜」が始まったことをルカ福音書は告げます。神殿での清めの際、彼女の心も槍で貫かれることが予告されます。(ルカ2:35)


主聖堂脇の聖母子像 聖イグナチオ教会

12歳での神殿詣ででも、イエスがいなくなる思いがけない事件が起こります。

母が「どうしてこんなことをしてくれたのです。」(2:48)と嘆くと、息子イエス「私が父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」(2:49)と答えます。「しかし、両親にはイエスの言葉の意味がわからなかった。」(ルカ2:50)

「イエスの話された言葉の意味が分からなかった」という表現は受難予告の際に使徒たちに使われた言葉と同じです(ルカ18:34他)。言葉の意味が隠されていました。


意味がわからない時にマリア様は「すべて心に納めました」。マリア様は、ただ記憶に留めたわけではありません。毎日、イエスの子育てを精一杯していました。そして、不思議なこと、理解できないことがあると「神様のお望みはどこにあるのだろう?」と感じながら「心に納めました」。マリア様のような厚い信仰があっても理解しかねる。その度ごとにマリア様は「心に納めました」。


十字架の下で悲観にくれて佇んでいると「婦人よ、御覧なさい。(ヨハネのことを)あなたの子です」と言います(ヨハネ19:26)。すぐには、息子の言葉の意味がわからないことが度々でした。マリア様にも、イエス様のことを理解しきれませんでした。いきなり信仰の模範になったわけではありませんでした。起きている出来事にどう取り組むか? 祈って、神様に信頼して、委ねて・・・その繰り返しでした。


マリア様にも神様の計画は、分かるようでわかりません。心から同意する一方、マリア様も母として息子の成功を望んでいました。心の片隅で、母親として夢見ていたものと違う現実に戸惑いがありました。マリア様の心の中で、次第にそうしたものから離脱が進められます。

母として、できることなら自分が代わりたい、何としても息子の死を防ぎたいと思われた。しかし、神様は、ご計画どおり、イエスが御父の愛を示す救い主となるのを受け入れるように、神秘で深遠な仕方で彼女を教育されます。


マリア様の信仰の歩みは、神様がどのように私たちの信仰を育てて下さるかをわからせてくれます。

今日は、元旦です。神の母聖マリアを祝うのは、教会の中に、マリア様の信仰を呼び起こすことで、キリスト者の生活が蘇るためです。私たちの信仰生活に、力と平安、自由と活力がよみがえります。

マリア様の信仰は初めから完成されていたわけではない。そのことが逆に私たちの見本なのでしょう。マリア様に倣って今年も歩き始めましょう。マリア様、どうか私たちと共に歩んでください。

 

参考文献『宣教者を育てるイエス』 カルロ・マリア・マルティーニ著 今道瑶子訳 1988年 女子パウロ会


主聖堂のマリア様

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