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新年の初めにあたり 神の母聖マリア

福音朗読:ルカによる福音2:16-21


1年の初め、奉納されたカード

羊飼いの話を聞いた人々は、ベツレヘムでのイエス様の誕生を「不思議に思いました」。

一方のマリア様は「すべて心に納めて、思い巡らします」。

マリア様は、イエス様の子育てをしていて不思議なこと、理解できないことがあると「神様のお望みはどこにあるのだろう?」と探しながら「心に納めました」。


少年イエスがエルサレム神殿で迷子になるのが典型です。あの時も「母は、これらのことをすべて心に納めていた」とあります。(ルカ2:51)

マリア様のような厚い信仰があっても理解できないことに遭遇します。その度にマリア様は「心に納めました」。


同じことがあったら普通の人なら、頭を抱えて息子を叱るでしょう。「心に納める」ことができたのは「み言葉どおり、この身になりますように」という決心があったからです。聖書の中には一回しか登場しませんが、マリア様の人生を貫く態度です。神様の計画を引き受けた覚悟があるから「心に納める」ことができました。マリア様は、特別なジェットコースターに身を委ねるように、不思議な出来事を引き受けていきます。


もう一つ、マリア様から学ぶ大事なことは「動じない」ことです。典型はカナの婚宴です。(ヨハネ2章)

はじめイエス様はつっけんどんな態度を取られます。でも、息子イエスを信頼しています。イエス様の反応が今一つで状況が悪くても、動じません。言うべきこと、すべきことを淡々としていきます。

私たちは、目で見える成果を目指して頑張ります。でも、うまく行かないとがっかりしたり、落ち込みます。「神様のために頑張っているのにうまくいかない!」と動揺してしまいます。立ち直るのに時間がかかってやるべきことを見失ってしまうこともあります。そのようなロスがマリア様にはありませんでした。「この子、何考えてるの?」と謎に出逢っても、マリア様はすべきことを淡々と続けました。

不安が頭にあっても、やるべきことを見失わないようにしましょう。


主聖堂のマリア様の足元にささげられた花とロザリオ

さて、新年、どのように生きたらいいか? 今、黙想中ですが、ルカ福音書で黙想しています。

ルカ福音書は、ルカも所属していたパレスチナやシリアを巡回して福音を宣教していたグループの活動、福音を告げながら旅する人たちの記録です。彼らは福音を告げながら旅をする人たちで、その主な目的は、み言葉を方々に伝えるためでした。


私たちは、教会でミサをしていますが、当時は定まった活動の場所はありませんでした。ユダヤ教のナザレ派とみなされて、キリスト教という集団でさえありませんでした。旅から旅を続け、出会った人たちに、神の愛、イエスの生涯を語りながら福音を告げ知らせました。当時の人たちには年間計画もなく、先が見えない・・・でもドラマの渦中にいて、ワクワクしながら、新鮮な気持ちで宣教の旅を続けていたのでしょう。

ワクワク感と不安感。それは修道者の召し出しを考えるときにも通じます。

「この先どうなるんだろう?」「でも神様の導きを頼りに歩もう」「葛藤があって、心が明るくなる方を選んでいこう。」そのような覚悟で、一歩を踏み出したことを思い出します。


ルカたちの旅する宣教グループには新鮮さがあり、ドラマがありました。自分たちが教会を切り開いていく醍醐味があったでしょう。私たちはそのだいぶ後を歩んでいます。福音宣教の歩みは続いています。


一年の初めに当たり、ルカたちの新鮮さ、修道者を目指し決心をしていく新鮮さを心に刻みましょう。マリア様にルカたちに道を示してくださった神様が、私たちに、修道者を目指す方たちにも道を示してくださるでしょう。その信仰を持って一年を始めましょう。


主聖堂脇の聖母子像

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