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主の公現

更新日:1月16日

福音朗読:マタイによる福音2:1〜12 


 

「主の公現」の祭日は、神の栄光がキリストをとおして、私たちに現れたことを祝う日です。

キリストの降誕によって、神が私たちと共におられることが明らかにされます。

それは闇の中に光がさしこむ出来事でした。神に希望をおく人は、その光に照らされて生きていきます。


今日は、主の公現のお祝いします。

3つのお話をします。


  1. 聖書の中の幼年物語(イエスの誕生物語)の描き方について。

  2. イエスの誕生物語にまつわる人々の反応。 

  3. イエス様の誕生・主の公現の喜びをどのような時に感じたか?


(1) 聖書の中の幼年物語(イエスの誕生物語)について


幼子イエスの誕生について福音記者たちの考えも分かれました。

マルコ福音書とヨハネ福音書では、イエスの誕生物語に触れていません。「イエスは何者なのか?」を“十字架と復活”“み言葉が肉の姿を取る、受肉”をテーマに描いています。


一方、マタイ福音書とルカ福音書では、イエスの幼年物語を描いています。マタイではイエスの系図から書き始めています。イエスは「ダビデの子孫」というアイデンティティを大事にしています。ローマ書1:3〜4では「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれた」と書いています。メシアは、ダビデ家出身の油注がれた王という点を大事にしています。


また、マタイは幼年物語は、“良き知らせの出だし”“福音の導入”ではなくて、“福音の本質”とみなしています。

「神は私たちと共におられる(インマニエル)」ことをマタイは福音書の最初と最後に書いています。“共におられる”目で見えるしるしがイエス様です。そのイエス様は大人で登場するのではなくて、赤ちゃんとして生まれてくる。目がキラキラしていて、人々の心を明るく、ほのぼのとさせてくれる。だから今でもクリスマスはお祝いされています。マタイ福音書とルカ福音書がイエス様の誕生物語を描かなかったらクリスマスのお祝いもありませんでした。イエス様が赤ちゃんとして生まれることはキリスト教にとって本質的なことでしょう。

 

(2)イエス様が誕生したことへの人々の反応


主聖堂前の馬小屋 幼子イエス様を礼拝する東方の占星術師たち

「新しい王が生まれる」と聞いた時の、ヘロデ王と占星術の学者たちの態度から考えます。


占星術の学者は、天体観測の専門家ですが、政治にも口を挟めるほどのエリートでした。3人は私財をなげうって東の国から特別な星を追い求めます。苦労が多い旅でしたが、天体の専門家にとってワクワクする出来事でした。彼らは異邦人でしたが、“本物に惹かれる”純粋な人たちでした。イエス様を丁寧に礼拝し、贈り物を献げます。


一方、ヘロデ王はどうでしょう? ヘロデは、有能な政治家でした。政治、経済、軍事全ての面で権力を握っていました。だから「新しい王が生まれた」と聞いて強いショックを受け動揺します。彼は、自分を脅かす者には残酷でした。自分の奥さん、奥さんの兄、奥さんのお母さん、おじさん二人、自分の息子も3人殺しています。だから「新しい王が生まれる」と占星術の学者から聞いて、すぐに殺すことを決めます。神様の計画をつぶそうとします。邪悪なヘロデは、ヘブライ人の男の幼児を殺戮する邪悪なファラオの写しです。 そんなヘロデの心を見抜いて占星術の学者に「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがありました。


「新しい王が生まれる」のを「探しに行って喜ぶ」占星術の学者。「不安になって抹殺する」ヘロデ。 同じ出来事でも受け止め方が対照的でした。


神が私たちと共にいてくださること

主聖堂祭壇の聖家族

幼子が“世の光”、“喜び”になる、と感じたことを紹介します。

年末にベートーヴェンの第九交響曲を聴きに行くことを、あるご家族にお話ししました。年が明けてお母さんから「娘が神父さんに新年の挨拶をしたい」と連絡がありました。黙想中でしたが「年少と小学1年生の女の子が会いたがっている」と聞いたのでお会いすることになりました。

すると小学1年生の女の子が「神父さんに聞いてもらいたい歌がある」というのです。「何?」と聞くと「第九を歌いたい」と。そして歌ってくれました。これから聞いていただきます。


Freude, schoner Gotterfunken,

Tochter aus Elysium

Wir betreten feuertrunken.

Himmlische, dein Heiligtum! Deine Zauber binden wieder,

Was die Mode streng geteilt;

Alle Menschen werden Bruder,

Wo dein sanfter Flugel weilt.

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

天上の楽園の乙女よ

我々は火のように酔いしれて

崇高な汝(歓喜)の聖所に入る 汝が魔力は再び結び合わせる

時流が強く切り離したものを

すべての人々は兄弟となる

汝の柔らかな翼が留まる所で


参考:ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 第4楽章「歓喜の歌」 歌詞対訳(音楽の森ウェブサイト)


「“フロイデ“は“喜び“なんだよ」と女の子は説明してくれました。

「どうやってドイツ語お勉強したの?」と聞くと「自分で」。

エレベーターの中でも大きな声で歌ってたら、途中で人が乗ってきて恥ずかしくなった。でも神父さんに聞いて欲しかったから一生懸命練習したよ。


小学1年生の子が、自分で調べて第九を歌う。新年の最初に聞いてもらいたい曲が“希望”と“喜び”の歌、ベートーヴェンの第九。

私の心にパッと“光”が射して温かい気持ちになりました。

幼子イエス様を探し当てた占星術の博士と重なるところがあるのでしょう。

「闇に住む民は光を見た」 私たちも希望の光に照らされて新しい年を始めましょう。



 
参考文献
  • 『キリストは近づいている 待降節の福音 マタイ1章、ルカ1章』

    レイモンド・E・ブラウン著 佐久間勤訳 女子パウロ会 1996年

  • 『降誕物語における キリスト マタイ2章、ルカ2章に関する小論集』

    レイモンド・E・ブラウン著 生熊秀夫訳 女子パウロ会 1996年



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