福音朗読:マルコによる福音1:14~20
シモンと、兄弟のアンデレの召出しの場面です。2人はすぐに網を捨てて従いました。その後続いて、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟も、父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残してイエスに従いました。
イエスに従う意味深さを理解できるよう願いながらこのミサを始めましょう。
今日は「捨てて」「残して」の意味を、私自身の召出しと重ね合わせながら考えてみます。
まず、洗礼からです。私は、大学時代にスポーツの挫折から洗礼を受けることになりましたが、家族は信者ではありません。教会に通い始めた時、少し心配はしましたが、落ち込んでずっと家にいるよりはいいと思ったのか特に反対はしませんでした。洗礼を受ける段になって「死んだらお墓はどうなるのか?」とかいろいろ質問を受け少し時間を取った方がいいと思い、予定より三カ月伸ばして洗礼を受けました。声をかけましたが、家族は式には来ませんでした。少し経って、「司祭になりたい」というようなことを父に話すと「かすみで飯は食えない」と言われ、確かに実社会で働くことが大事だと思い、就職しました。
就いた仕事は、住宅会社の営業で、名古屋の勤務でした。数字だけで測られる世界なので、父も家族も心配していたと思います。2年目に入って「辞めたい」と家族に漏らしたときには「実家に戻ってくるのを楽しみにしていた」とか、家族はめいめい、たとえば、新しく出来る葛西臨海水族園の飼育係とか・・わたしの次の仕事を探してくれたりしていました。
けれども、その場を何とかしのぎ、そうこうするうちに結局十二年間勤めることになりました。
司祭を考えるきっかけは、難しい商談をやっと乗り越えた帰りの車の中で「お前の仕事は他にある」という声を何度か聴いたからです。でも、今さら別の仕事を一から覚えるのももうできない、という気持ちもありました。
それにしても「何をしたらいいのか?」と思い巡らすうちに最初に思い浮かんだのが司祭でした。それは本当に突拍子もないことでした。ただ、「この路を」というイエズス会の叙階式で配るパンフレットだけは、引っ越しがあっても捨てずにいたことが、一縷の可能性をつなぎ止めていたのかもしれません。また、神様は「かすみで飯を食えないこと」を体験させた後に呼ぼうと考えていたのかもしれません。
私は、思い立ったら早い方がいいと、まずは「レジオ・マリエ」でお世話になった神言会の神父さんに相談しに行きました。すると「柴田君には、その可能性がある」と言われその気になりました。
神言会とはご縁がありませんでしたが、洗礼を授けていただいた桜井神父さんとの出会いで、イエズス会との縁が戻りました。5ヶ月間召出しの集いに富士市から通い、入会願いを10月に書きました。
けれども、受験も入社試験も不合格続きだったわたしは、どうせどこかの段階で断られるだろう、と家族には何も話していませんでした。始まった面接の、最後の段階、12月になって「実は・・・」と家族に打ち明けました。「どうしてそんな大事なことを親に黙って・・・」と言われ、わたしは下に顔を向けたまま、顔を上げることができませんでした。お通夜の雰囲気が続きました。その後、2週間おきに、富士市から実家の千葉に通いました。家族とのやりとりを記録したノートがここにあります。
母は「子どもは体の一部。3人いるから三分の1ということはない。一人一人で完結している。一人くらいどうなってもいいといいうことはない。戦争に取られたと思って諦めようと思った。でも、なぜ自分の息子でないといけないのかわからない。育て方が間違ったのか? その報いなのか? 何とか思いとどまって欲しい。言うことは立派でも家ではどうなんだ?」
父は「信仰自体悪いことではない。でも実際、世の中を変えていないじゃないか? 家族を持ちながら、できる限りの社会奉仕をした方が立派なんじゃないか? 宗教は怖い。」
姉は「あなたが家族を悲しませてまでしようとしていることが分からない。人を救えるとは今のあなたの状態を見ていて思えない。あなたはラテン語や歌はできるの?」
家族の言葉に、わたしはどう返事をしたらいいか分かりませんでした。
「今は、許して欲しい。将来を見て欲しい」、としか言えませんでした。
結局、3月末にイエズス会に入会する期限が迫り、わがままを通させてもらいました。父は最後にこう言ってくれました。「もうその話は終わりにしよう。自分の息子でなければ、こんなこと承知しない。体を大事にしろ。違うと思ったらいつでも戻って来い」と畳を叩きながら言ってくれました。
私は、家族からどれだけ大事にされてきたのか、この時やっとわかったのでしょう。望みはかなえられたものの、修道生活に入る喜びよりも、家族に申し訳ない気持ちの方がずっと強くありました。
司祭になるまでのわたしを支えてくれたものの一つが、「家族の思いを無にしてはいけない。家族が払ってくれた分、生半可ではいけない。」という思いでした。いつか、「ああ、自分の息子はこういうことをしたくてこの道を選んだんだな。それはそれで良かったのかもしれない」と思ってもらえるまでやりとおさないと・・・いう思いが自分を引っ張ってくれたように思います。
クリスマスには、雪の山口教会とカルメル会の写真を送りました。父は「雪の日の運転は気をつけろ」と言ってくれました。「体を大事にしろ!」と言ってくれた父の思いはこの12年ずっと変わっていません。私も、家族の思いを無にしたくない、という思いでやってきました。
聖書にある「捨てて」「残して」には、何の説明もありません。描かれてはいませんが、必ず、イエスに従う者と残される者の間には、このようなやり取りがあったはずです。皆さんも、主に従う辛さを味わって来られたのでしょう。辛さを超えた先にある、大きな実り、喜びの日のため日を信じて、人生を捧げて参りましょう。
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