top of page

イグナチオの記念ミサ

今日は教会の守護の聖人、聖イグナチオを記念するミサです。


2024年7月31日 主聖堂の祭壇と聖イグナチオのご像・教会の旗

まず、簡単にイグナチオの人生を振り返ります。

イグナチオは1521年(30歳の時)に人生をドラマチックに変えました。軍人でしたがフランス軍とのパンプローナでの闘いで脚に大けが負います。ロヨラの自宅まで搬送され、麻酔なしで激痛を伴う2度の大手術を受けます。回復を待つ何ヶ月もの間、ベッドの中で彼は人生について考えました。

これまでは、軍人として手柄を立てることを夢見る虚栄心に満ちた人生を送ってきました。彼は、観察力の鋭い人間で、病床で自分の心の動きを観察しました。ベッドで読むために想像力をかき立てる恋愛小説を頼みましたが、手に入ったのはキリストの生涯と聖人伝でした。けれども、読むうちに別の意味でかき立てられるものを感じていきます。かつて読んだ恋愛小説や冒険物語を思いめぐらしますが、喜びは長続きせずむなしさが残りました。2冊の本を繰り返し読むうちに、心の中に、自分を励ます新しい神のイメージが形成されていきました。また、この喜びは持続しました。彼は、神を抽象的・哲学的な神ではなく”愛の神”として見るようになりました。神の働きは、聖書に書かれている昔の出来事ではなく、いまの自分と個人的な関係を持つ方。ベッドの中で、行動的に働きかけることが神の際立った特徴だと悟りました。これが、イグナチオの基本的な神のイメージです。


“What is Ignatian spirituality ? ” 『イグナチオの霊性とは?』私訳 David L. Fleming, SJ著 Loyola Press A Jesuit ministry出版  2008年発行



私は大学生の時に、イグナチオ教会で洗礼を受けましたが、イグナチオについてはほとんど知りませんでした。イグナチオについて知るようになったのは、社会人になって司祭の召し出し考え始めた時です。

仕事を続けて10年経ち、中間管理職にもなり「このままでいいんだろうか?」と考えるようになりました。そして難しい仕事を終えて帰宅する運転中「あなたの仕事は他にある」と呼びかけられているように感じました。「他の仕事」と言われても・・・すぐには思い付きません。しばらくして「司祭」が思い浮かびます。


「司祭の望み」は本物だろうか?

1999年の夏、上石神井の黙想の家で4日間の黙想に与りました。仕事から離れて、人生を見つめました。


「自分は何を求めているんだろう?」

業績、社会的信用を積み上げたら幸せになると思っていましたが・・・毎月のノルマが追いかけてくる。気持ちが休まらない、契約いただいたり、満足いただいたり、紹介客をいただいて充実感はあるけれど・・・・この仕事がいつまで続くだろうか? 続けたとして何が残るだろう? 黙想会で自分と向き合います。


そして、黙想の指導者だった英神父さんから「原理と基礎」を習います(聖イグナチオの霊操 #23)

「人間が造られたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、こうする事によって、自分の霊魂を救うためである。」

「神様を賛美し、敬い、仕えるための人生」そんなこと考えてもいませんでした。これまで、お客様と会社に仕える人生。月に2度の入浴介助のボランティアをしていましたが、神様を頭に入れていませんでした。「自分の霊魂を救う」 今の仕事は頑張っても途方もない感じがしてきた。司祭になって1つでいいから成し遂げる人生を送って魂が救われたい。

「神様が自分に働きかけている」「司祭の望み」は深いところから来ているように感じました。


一方で、30代も半ばでそんなことできるだろうか? 今までしてきたことは無駄なんだろうか? 徒労だったのか? という思いももたげます。人生を一からやり直すのか? そんな時、英神父さんはイザヤ書49章を紹介してくれました。


わたしは思った わたしはいたずらに骨折り うつろに、空しく、力を使い果たした、と。 しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり 働きに報いてくださるのもわたしの神である。 主の御目(おんめ)にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。  ーイザヤ書49:4〜5

「これまでの人生無駄ではなかった」と諭してくれました。

「原理と基礎」「イザヤ書49章」この4日間で、私の人生の方向づけは大きく変わります。


ただ、心はその後も揺れます。12年働いて今更、会社をやめて、全く違う人生を選ぶなんて挑み過ぎじゃないか? この年から10年もかけ哲学・神学を勉強するなんて無謀なんじゃないか? 会社員として踏みとどまった方がいいんじゃないか? という考えがもたげます。

そんな時、神学生だった松井さんが「苦労が見えても光がさす方を選んだ方がいい」という助言をもらいました。「やはりこの道を進もう」と思い直します。 その後、家族からの反対もありまた心は揺れました。でも最後は「前に進んでいたら骨は神様が拾ってきださる」と信頼し、開き直ってイエズス会に入会しました。それから24年経ちました。


神様は私たち一人一人に働きかけます。皆様にとっても、行き詰って人生を変えたイグナチオの歩みが影響しているかもしれません。「苦労があっても光が差す方を選ぶ」生き方をしていきましょう。


ロヨラの聖イグナチオのご像と聖イグナチオ教会の旗

閲覧数:94回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page