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年間第10主日

福音朗読:マルコによる福音 3:20~35


今日は、現聖堂25周年献堂記念ミサですので、私のイグナチオ教会との関わりと福音箇所を結びつけてお話します。


献堂時1999年6月タイムカプセルに納められていた銘板を持つ髙祖神父と柴田神父
献堂時1999年6月タイムカプセルに納められていた銘板

大学生の時、上下関係の厳しい合宿生活で挫折した私は、カトリック学校に通うクラスメートの紹介で、イグナチオ教会を知ります。当時は今より10キロ痩せていて、ほおもこけていました。傍目からしたら刑務所から出てきた訳ありの若者に見えたかもしれません。


朝ミサが終わった後、考え込んで聖堂で座り続けていたら、後ろの席のご婦人が声をかけてくれました。

「あなたの願い事が叶うといいわね」

自分が何を願って教会に来たのかわかりませんでした。でも、このご婦人の言葉で「洗礼を受けよう」と決心します。


「あなたの願い事が叶うといいわね」ご婦人の一言が私の人生を変えていきます。

教会は神様の言葉に出会う場所です。それから1年、学生対象の木曜会に通います。桜井神父様、松本神父様に学んで洗礼を受けました。

大学を卒業してからは、名古屋で住宅営業マンとして働きます。


働き始めて12年目、司祭になることを考え、イエズス会を志願します。家族はカトリックではなかったので、入会に反対します。「宗教が社会を変えてないじゃないか!」「家族を悲しませてまであなたがしようとしていることがわからない」「家族を救えない者に人は救えない」

返す言葉がないまま、話し合い続きました。

二週間に一度、勤務先の富士市から千葉の実家に戻って話し合いをしました。父は、管区本部に断りに行こうとしたそうです。母と姉は「司祭になるプロセスを知りたい」

松本管区長、柳田修練長と面談することになりました。母は、「何を着て行こうか? 喪服を着て行こうか?」と本音とも揺さぶりとも言える言葉を口にします。


私は、管区長と修練長が家族を説得してくれるものと期待していましたが、そうはなりませんでした。「司祭に養成に10年かかる」と聞くと母は「それまで生きてません」と言います。重苦しい雰囲気で話は終わりました。信仰に生きると試練が起きます。 


福音では、イエスの身内が「取り押さえに来た」とあります。「取り押さえる」はイエス様の逮捕時にも用いられているとても強い言葉です。身内からしたら「イエスは気が変になっている」「イエスのおかげで変な人ばっかり来る。迷惑だからやめて欲しい」「もっと社会的名誉になることをして欲しい、親族の誇りになるようなことをして欲しい」。イエスを非難しています。


今日の福音を読みながら思いました。私の召し出しは家族から反対にあいました。父は「息子を止めたい」だから「断りに行こう」と。 

イエス様も身内から非難されました。力づくでイエス様を取り押さえに来ました。どちらも相手を真剣に思ってのこと。でも、神様の思いは別のところにありました。信仰を生きると人の思いと外れたことも起きます。反対や試練がつきものなのでしょう。


今、ここにいる一人一人も、人間の思いを超えた神様の思いに導かれてこのミサに与っています。周囲の理解は得られないことがあっても、イエス様について行こうとしてきた。一人一人が、神様の声を聞いて、試練があっても信仰を歩んできた。出会い方も歩み方もそれぞれ。ミサごとに信仰の歩みが集まり、積み重なって献堂25年になりました。試練があっても、イエス様と共に、教会と共に歩んできた25年。神様の計らいがあって現聖堂25周年献堂記念ミサに至りました。

私たちの25年間の歩みに、神様から「よくがんばりました」労いの言葉がかけられます。

次の歩みに向けた「励ましの言葉」もいただけるように願いましょう。



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