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四旬節第3主日

ヨハネによる福音2:13~25

 


 

最近「背負う」という言葉が心の中に響いています。イエス様は、また、私たちは、何を背負っているのか考えてみます。


イエス様が、神殿の境内に入って商売をしている人を追い出した出来事は、4つの福音書全てに記されています。それだけ、重要な出来事です。神殿には多くのユダヤ教徒がヤ-ウェの神様にお祈りしていました。祈るだけではなく、神殿にお金を献げることがユダヤ人の神聖な義務の一つでした。 当時出回っていた通貨にはローマ皇帝の像が刻んであるので、神殿に納めるには別の貨幣に両替しなければいけませんでした。それにつけ込んで、手数料をたくさん取って儲ける商人が机をずらっと並べていました。手数料を巻き上げる商売で神殿の経済は成り立っている。

そんな状態にイエス様は「形式主義だ」と怒りを奮います。


イエス様が怒ったのは、一人一人の罪の重み・苦しみを「背負っていた」からだと思います。 私が罪と苦しみを「背負って」も、でもさらなる重荷をかけくる。誰も苦しみも、貧しさも「背負わない」。 それで平気でいられる。そんな神殿の姿にイエス様は怒っていた。私はそう感じています。

2月18日(日)に80人の方が、洗礼を志願されました。80人というと、イグナチオ教会は自慢しているように取られるかもしれませんが、私は志願者、お一人お一人の人生を講座の方、周りの人が担おうとしているように感じています。


先日の夜、私の部屋をノックする人がいました。「洗礼式にこのベールを買ったのですが、レースに花柄がついていて。これで大丈夫でしょうか?」 4人の方が心配そうに私に尋ねました。 「もちろん、大丈夫ですよ。可愛らしいベールですね」とお返事しました。すると「安心しました」と言われました。「安心しました」の言葉は、心からのものに感じました。 

その後、考えました。さっきの4人の方は、洗礼志願者の人生を担っている、と。もちろん最終的に人生を背負ってくださるのはイエス様です。でも、新しい命、永遠の命を得るお手伝いを精一杯されている。


私の講座では、先週、マタイ受難曲を聴いていただきました。マタイ受難曲には、イエス様の受難の悲しさ、十字架にかかる苦しさがありながらも、救いが一緒に表現されています。特にカール・リヒターのマタイ受難曲を四旬節に聞かれることをお勧めしました。日本語訳もある動画がYouTubeでアップされているので、ご覧になれます。





イエス様が、私たちの罪を背負って十字架にかかる痛み、その痛みを通して私たちを救われる。神様の救いがどのようなことか? マタイ受難曲は、私たちの祈りを深めてくれます。 

作曲者のJ .S .バッハは、ルーテル教会の熱心な信者さんでした。バッハはすべての音楽活動を「神の栄光」のためにささげていました。彼は楽譜の最後に自分の署名の代わりに“Soli Deo gloria”(栄光は神のみに)と書いて、自分の音楽活動を全部神にささげていました。 マタイ受難曲はバッハの高い精神性、信仰心から生まれた素晴らしい作品です。


さて、今日の四旬節第3主日、第4主日、第5主日で、教会は洗礼志願者のために特に祈ります。信仰の道に入るには試練もあるので、共同体は「清めと照らし」の式によって志願者を支えます。「清めと照らし」の式は、自分本位の生き方から脱し、愛の交わりに生きる。神の光に包まれて生きる道を確認する式です。今日は「清めと照らし」の代わり共同祈願で祈ります。

 

講座のヘルパーさんたちは、「神様の愛がどのようなものか?」考えて考えて伝えようとする。志願者は「洗礼を受けて新しい生き方を見つけたい。」「人生の節目にしたい」と期待する。お互いの思いが通います。 「清めと照らし」の時期は、洗礼志願者の人生を支える、より強い言葉で言えば、洗礼志願者の人生を背負おうとする時期だと思います。


200年頃のローマの教会では、求道者の準備期間を3年と定めていました。その間に、回心が表にも出ているか? 生活がどのように変わっていくかを確かめていました。

「正しく生活していたかどうか、やもめを敬ったか、病人を見舞ったか、あらゆる良いわざを行なったかが調べられる」(『聖ヒッポュリトスの使徒伝承』20)信仰に入る準備「生活の改善」がされているかを確認していました。


洗礼を先に受けた私たちは、回心を深める、生活改善をしていく。志願者の人生を担っていく、背負おっていく。 その思いが花柄のベールへの心配であったり、マタイ受難曲を勧めることに繋がっていると思います。


イエス様は、私たち一人一人の罪と苦しみを背負ってくださる。そして、イエス様はきっと、今の私たちに「怒り」ではなくて「励まし」を与えてくださると思います。

洗礼志願者に寄り添いながら、回心・生活改善を続けていきましょう。 

私たちの苦しみを背負い、救いに導いてくださるイエス様を感じながら後半の四旬節を過ごしましょう。



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