ルカによる福音 6:39〜45
イエス様は、大工さんだったので、今回は“おがくず”の話で人々に話しかけています。
たとえ話から2点、お話しします。
1つ目。「自分の目の中にある丸太」は何なのか?まず考えてみました。
それは「当たり前」ということです。今日、生きていること、平和であること、健康であること、それらが「当たり前」と思って生きていたら「自分の目の中にある丸太」がどんどん大きくなってしまうように思います。
その逆に「当たり前」ではなくて「奇跡なんだ」と感じている生徒さんのお話を紹介します。
あるカトリックの学校で周産期医療のドラマ「コウノドリ」を題材に「命の授業」をしました。
「コウノドリ」に関心を持ったのは、知り合いの信者さんのお孫さん、18トリソミーの女の子が生まれて5日目に天に帰った病院が「コウノドリ」の舞台となった、神奈川こども医療センターで生まれたからです。女の子の名前は「希望を結ぶ」と書いて結希ちゃんです。
「命の授業」の感想です。
人が生まれるということはどれだけ奇跡的なのか!どれだけ人の思いが注がれているかを考えさせられた。 父や母は、私に対して、怒ったり、口うるさく文句を言うこともある。けれども「コウノドリ」を見たら、あれだけ苦労して私を産んでくれたんだから、そりゃ心配もするだろうと考え直した。忙しい日常に埋もれて見えなくなっていた父と母の愛情に気付かされた。 生きて生まれて来られなかった命、生きたくても生きられなかった命がある中で、私たちは今日を生きている。どんな人でも生きていること自体が奇跡なんだと思う。 生まれてきたからには、嫌いな人であったとしても、幸せになってほしい、と心から素直な気持ちが湧いた。
「生きていることが当たり前」と言う丸太を取り除く。
「生きていることは奇跡」と思えたら「嫌いな人でも、人を裁かない」関わりができるように思います。
2つ目。「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出す」とはどのようなことか?考えました。
アメリカ在住の日本名が竜之介くんのお話です。2020年4月、コロナの自粛が始まって、ヘアサロンも休業となり、最初はお母さんが竜之介くんの髪の毛を切っていました。そのうちに「髪を伸ばして、(抗がん剤の治療などで)で髪を失った人のために寄付(ヘアードネーション)することができるんだよ」とお母さんが話したところ、竜之介くんは「やってみる!」と言い、髪を伸ばし始めました。竜之介が8歳の時でした。
学校がお休みの間は良かったのですが、学校が始まると、女の子に間違われたり、髪を束ねていくと、「ポニーテールで女の子みたいだ」と言われて、からかわれたりして嬉しくないこともあったようです。公共のトイレに行くと「女の子はあっちだよ」と言われることがあり、その時はフードで頭を隠したりしていました。
それから2年半後、10歳の夏に、日本で切ってもらうことにしました。
2020年4月、2021年4月、2022年4月の写真と、2022年の6月にドネーションをした際の写真。 最後はスタイリストさんがインスタグラムにあげたもの。
今は2回目のドネーションのためにまた髪を伸ばしており、今年の夏に日本で切ってもらう予定でいます。
膵臓がんにかかった母が抗がん剤の副作用で髪をなくしたことも2度目のモチベーションになっていると思います。
竜之介くんのヘアードネーションの話を受けて生徒さんのコメントです。
私は女なので、髪の毛の扱いがどれほど面倒なものであるか、きれいに保つのがどれほど難しいかをよく知っています。髪の毛をお風呂上りにほったらかしにできないし、不自由もあったろうに。それに竜之介くんは、冷やかされたりもした。「お前に何がわかるんだ」と叫びたくなったかもしれない。それでも竜之介くんは、髪を伸ばし続けた。2年半、困難にも耐えた。それを見て「私たちは、人のために何かをする時、人は一番頑張れるのかもしれない」と感じた。
「善い人は良いものを入れた“心の倉”から良いものを出す」
「“心の倉”」とは、「人のために何かをする気持ちを持っていること。それがあれば人は一番頑張れる。
逆に「悪い人の心の倉」とは、人を支配したり、弱い人をいじめたりすること。
人と人との関係もそうですが、発展して、国と国との間にも起きています。
ウクライナの人たちは、自分の国がどうなるか? 領土は? 生活は? 言葉は? 文化は? そして、命は? 国の運命が左右される重大な局面に立たされています。
「命」「平和」が当たり前ではないこと。感謝すること。人を支配するのではなくて、人を助けるために何かをしたい「心の倉」を持てるようにしましょう。
復活祭に洗礼を受ける小学3年生の女の子のお祈りです。
神様、世界にはせんそうや、病気、ひんこんで苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。 その方たちにも平等に、平和な日じょうをおあたえください。 私にあたえられている幸せにかんしゃしてすごせますように。 アーメン。
まもなく始まる、四旬節、苦しみに共感する心、日常に感謝する感覚を鋭くしましょう。
洗礼志願者と共に回心の四旬節を歩んでいきましょう。
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