ヨハネによる福音15章
今日は聖霊降臨の祝日です。イエス様の力ある業にはいつも御父からの聖霊が働いていました。天に昇られるイエス様は、自分に働いていた聖霊を私たちに送ってくださると約束され、今日、聖霊降臨をお祝いしています。聖霊降臨は、イエス様が天に昇られた後、私たちが神の国を築く、転換点です。
聖霊は、イエス様にも、今の私たちにも働いてくださる。聖霊がより働いてもらえるように、イエス様が一日の中でどのようにお祈りされていたか?を考えます。
『イエスの生涯と初代教会における毎日の祈り』J.エレミアス
神学ダイジェスト(上智大学神学部発行 36号14〜23P 一部表現を変えています)
イエスの時代以前からのユダヤ教の祈り
日の出、午後3時、日没後の3つの時刻がユダヤ人の祈りの時間でした。イエス様をはじめとしたイスラエルの人は皆、若い頃から時間を決めて日課にして祈る“時課”を祈りの習慣にしていました。
第1の祈りは、
日の出前の祈り。ヘブライ語で「聴け(シェマ)」という言葉で始まるところから「シェマ」と呼ばれました。「聴け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4〜5) この朝の祈りの習慣は、おそらく神殿祭儀に由来し、輪番の祭司たちは、神殿で日の出前、あるいは直後に、シェマを共唱していたと記されています。(タミード5:1)
第2の祈りは
「午後の祈り」で3時ごろに唱えられていました。その時刻には、神殿で夕べのいけにえが捧げられていました。(エズラ9:5、ダニエル9:21、ユディト9:1) 夕べのいけにえの祭儀を捧げるために神殿に参拝する人々でエルサレムの道がごった返す時刻に唱えます。エルサレム以外の地に住む人々も、神殿に集う会衆と共に祈ろうとして、各地で集会を開いていました。
第3の祈りは、
「日没後」です。シェマの全力を尽くしてこの神を愛すべきである、という戒めを確認しました。
「今日私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供達に繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい。」(申命記6:6〜7)
この「寝る時も、起きる時も」という言葉が、朝の起床後だけでなく、夜の就寝前にもシェマの信仰告白を唱える習慣を生み出しました。
福音書から、イエス様がユダヤ教の伝統、時課を守ってお祈りをしていたことがわかります。
「イエスはお育ちになったナザレにきて、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」(ルカ4:16)
マルコ1:35では「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ行き、そこで祈っておられた。」とあります。日の出前(第1の祈り)をしているイエス様の姿が描かれています。
「祈るときにも、あなた方は偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」(マタイ6:5) 午後3時の祈り(第2の祈り)を示唆しているに違いありません。
ルカ18:9〜14 「ファリサイ派と徴税人」のたとえの話では、神殿で祈る2人を描いていますが、これは第2の祈りの時刻に起きた出来事と考えられます。
パンを増やす奇跡の後で、夕暮れ近くになるとイエスは山に退いて祈っていた。「群衆と別れてから、祈るために山に行かれた。」(マルコ6:46)日没後・晩の祈り(第3の祈り)です。
イエスは、晩の祈りの延長で日の出の時刻まで続けていたこともあります。
「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から12人を選んで使徒と名付けられた。」(ルカ6:12)
イエス様は決まった時間に祈る、時課に基づいてお祈りしていました。
私は最近、このイエス様と同じ時間に祈ろうとしています。普段「お仕事、次のお仕事」と向いてしまいますが、その前に聖堂に座って静かに呼吸を整えるようにしています。
それぞれのお祈りの時間にまず「ふーふーふー」と息を吐き出します。「お仕事、お仕事・・・」と思っていた私は、ゼーゼーというか、浅い息になっていることを感じます。「ふーふーふー」と息を吐き出すうちに、神様からの息吹を取り戻します。 創世記にこうあります。
神さまは、人の鼻の穴に「ふっ〜」と命の息吹を吹き込み、人は、生きるものとなりました。
(創世記2:4、4:7〜23、3:1〜14、3:23)
人間の誕生の場面です。私たちは意識しないで息をしています。でも神さまは、人の鼻の穴に「ふっ〜」と命の息吹を吹き込むことで、生きるものとなりました。この場面を黙想して、神様からの命の息吹を思います。
1日に3回、息を整えて、お祈りすると、聖霊の働きを感じてきます。
今日の福音には「真理の霊は、あなたたちを導き、真理を悟らせる」(16:13、14、26参照)という言葉にあります。聖霊は、私たちを正しい方向へ導いて、救いや真理に到達させてくれます。仕事中毒気味の私に、命の息吹が吹き込まれてきます。磁石が北を指し示すように、聖霊は私たちを真理に方向づけます。反対に「闇」の中にいる時は方向感覚を失っています。聖霊は、「闇」の状態、暗中模索の状態から、神様がいらっしゃる場所へと案内してくれます。
聖霊の大きな働きは「慰め主 聖霊」(パラクレートス)です。「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)
ゆとりがない中にも祈りの時間を取ることで聖霊の慰めを感じます。
イエス様は御父との対話を毎日3回行っていました。そのお姿に倣っていきましょう。
これまで個人の話をしましたが、教会にも聖霊が働いています。昨日は新侍者の練習会がありました。主に4月7日 復活節第2主日に初聖体を受けた小学3年生です。子供たちは主の食卓、祭壇を囲んでイエス様の体を初めて拝領しました。会衆の皆さんからたくさんの拍手をいただきました。その拍手の促しもあって、今年は17人のお友達が侍者に志願しています。本当に嬉しいです。
すでに侍者をしているお姉ちゃんの動きを見ていて、すぐに侍者ができそうな子もいれば、カニさん歩きをしている子もいました。ともかく「侍者をやりたい」と志願する子がこれだけ生まれたことは、教会に聖霊が働いていることのシンボルです。7月14日の新侍者祝福式まで毎週練習します。ミサのあと、堅信準備会があります。 聖霊は、一人一人にも教会にも働いています。イエス様からの使命、神の国を築いていきましょう。
共同祈願
赦しの秘跡を担当された桜井神父様は5月23日にロヨラ ハウスに異動されます。
長年の奉仕に神様が労いの言葉をかけてくださり、リハビリがさらに進みますように。
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