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主の昇天

福音朗読:マタイによる福音28:16〜20

 

復活節は、今日の主の昇天の祝日で幕を閉じます。

復活したイエス様は13回弟子たちの前に現れます。その時、弟子たちに厳しい言葉を言わず、慎ましく優しく現れています。それは、弟子たちを許し、励ますためでした。

弟子たちにはイエス様を見捨てて逃げ去ったことへの罪悪感、後ろめたさがありました。初めて復活したイエス様が現れた時には、弟子たちには喜ぶより恐怖を感じていました。そんな弟子たちの罪悪感、後ろめたさを拭い去るために、イエス様は何度も現れ、食事を用意されたり、最後の晩餐を思い起こさせました。


だんだんとイエス様の気持ちが弟子たちに浸透します。

「自分の栄光を一緒に喜んで欲しい」イエス様の穏やかな現れ方に、弟子たちは安心していきました。

「イエス様は本当に復活された」確信が持てるようになりました。


けれども、このような慎ましい現れ方に疑問を持つ人もいます。「人々をあっと言わせるような現れ方をしたら、もっと効果的に宣教できたのに?」と考える人もいるでしょう。「イエスを殺した人たちに跪かせるような・・・日本の時代劇なら水戸黄門様が副将軍の紋所を見せるような、スカッとする方法で、ギャフンと言わせたら、効果的だったのに?」・・・・と。

しかしイエス様は、そのような方法は取りませんでした。力づくで信じさせることはされませんでした。「しかし、信じない者もいた」 信じるかどうか、あくまで一人一人に委ねました。


イエス様は、誰に対しても押しつけません。強制するのではなく、自主的に信じる、ダイナミックな展開を望んでいます。私たちの自由を応援されます。信じられるしるしを見せますが、押し付けません。イエス様は、人間の自由を尊重し、育てます。



では、「昇天」の意味はなんでしょうか?

「昇天」はイエス様がしようとしたことを私たちに託すことです。「昇天」は復活されたイエス様が天の父のもとへ帰っていく、弟子たちから去って行くことです。そしてその時に聖霊を送られます。この聖霊の働きで、弟子たち、また私たちがイエス様の業を受け継いでいきます。


復活されたイエス様は、自分の姿を現すだけでなく、私たちにミッションを与えます。

イエス様は、「私はここにいる。私はよみがえった。喜びなさい。」と言うだけでなく、

「行って宣教し、あなたの使命を果たしなさい。」と言います。

この使命感が、私たちにとても大切です。


私たちが成長するのは、知識を身に付けるだけでなく使命を与えられるからです。神様は私たちの尊厳を大切にされ、自由意思で信仰を選んだ私たちに使命を与えます。

いくつになっても、「神様は今私にどんな使命を与えておられるのだろう」と考えなくてはいけません。使命感を持つことは、健康な時、元気な時には易しいことです。でも弱くなった時、病気や年をとった時には難しくなってきます。そんな体調が悪い時でも、がっかりしてはいけません。聖霊の恵みによって使命感が与えられます。昔、元気に働いていた時と同じ様に、神様に自分の人生を捧げることができます。イエス様は、「あなたには、果たすべき使命がある。あなたの働きは、私にとって大切です。あなたは大切なことを成し遂げなくてはならない。」このように昇天されたイエス様は私たちを励ましてくださいます。私たちは、この使命感に気づけるように、無力感に陥らないように熱心に祈らなくてはいけません。自分はもはや役に立たないという思いは、非常に大きな誘惑です。


復活したイエス様は、弟子たちに現れて罪悪感をぬぐい、昇天する時に使命感を私たちに持たせます。この使命を果たしていきましょう。昇天されたイエス様に「こんなことをがんばりました」と良い報告をしていきましょう。


タンポポの綿毛と聖イグナチオ教会マリア聖堂


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