福音朗読:マタイによる福音 25:1〜13
まず、聖書から少しお話しします。
ファリサイ派、律法学者は「モーセの座」、権威ある立場から発言しています。それに対してイエス様は「言ってることは正しい、でも人に手を貸そうとはしない。」「権威ある自分の立場から降りてくることはない。」「背負い切れない重荷を人々に与えている」と非難します。
そして弟子たちに「仕える者になりなさい」と教えます。イエス様に従う弟子のうちで一番偉い人は「仕える者」「自分を低くする、へりくだる者」です。イエス様は上からの権威ではなく、人々の中に入って、仕える者となられました。いつも心貧しく謙遜でした。
私たちは「仕える者」「自分を低くする、へりくだる者」となり切れるでしょうか?
どの組織も、教会も、修道院も高齢化が進んでいます。意見を言う人はいても、実働する人がなかなかいません。「意見を出した人が先生、実働部隊はずっと下働き?」愚痴っぽいですが、そう感じる時もあります。皆さんにも「背負い切れない重荷を担いている」と感じる方もおられるでしょう。
「仕える者になりきる」にはどのような心構えが必要でしょうか?
「仕える」と言う言葉を好まれたアドルフォ・ニコラス神父の「帰天三周年の説教」から考えます。
2023年5月20日 ダニエル・パトリック・フアン SJ/酒井陽介 SJ訳(一部表現を変えています)
上智大学神学部で教え、日本管区の管区長もされたニコラス神父はイエズス会の総長になることを望んでいませんでした。「自分は、71歳で年を取りすぎている」とみんなに言っていました。
(2008年 第35会総会での)選挙の開票の間、ニコラス神父の隣に座っていた神父は、開票が進み、ニコラス神父が自分の名前を読み上げられるのを聞くたびに、頭と肩をどんどん落とし、まるで大きな重りが、のしかかっているのように見えることに気がつきました。
しかし、集計が終わり、自分がイエズス会の兄弟たちから総長に選ばれたことがわかると、ニコラス神父は背筋を伸ばし、落ち着いて選挙の意思を受けとめるために歩みを進めました。
一年後、マニラで行った説教の中で、ニコラス神父は人生を変えたその瞬間の自分の心の動きを説明しました。「(開票が進み)事態がややこしくなりそうだと感じながら私は、簡単に辞退できると確信しました。しかし、総長に選ばれたとき、私は、これは主が私に下さった「与えつくす」ための最後のチャンスだと心から感じました。その可能性を今まで考えたことはありませんでした。これを受けるか、人生の最終便を逃すか。それは、与える時、愛する時、仕える時、受け取ったものすべてに感謝する時、お返しする時、いや、むしろ主に引き受けてもらう時でした」。彼は、その時の反応を次のようにまとめています。「イグナチオの締めの言葉は、いつもこうです。『すべてを捧げるか、我が道を行くか 』」。
説教の続きです。 ニコラス神父は、多くの優れたイエズス会員がいる一方で、(「私たちが望む以上に」、「よく働き、十分になすべきことを果たす」会員がいるが、)すべてを捧げるというマジスの精神を失くした会員もいることを残念に思いながら指摘しました。
ニコラス神父は「私を見てください。私はこれだけのことをしている。これだけのことを成し遂げた。これだけの犠牲を払っているのだ 」と決して言いません。彼の奉仕は、謙虚で無償なのです。自分を宣伝することもなく、名誉や権力を手に入れるために奉仕を利用することもありません。
相手が枢機卿であれ、料理人であれ、ニコラス神父はいつも同じニコラス神父でした。彼は、自分の功績を語ることも、リーダーの役職を主張することも、上司であることをかざすことなく、協力者に助けを求めることを決して恥じることはありませんでした
「どのように助けることができるか」としばしば語りました。
「わたしどもは取るに足りないしもべです。しなければならないことをしただけです」
「私たちは、支払いも報酬も必要ないしもべです。主人は私たちに何も借りはありません。しなければならないことをしただけです」。
この言葉は、ニコラス神父が、偉大な主人に仕えることを喜び、光栄に思うしもべの叫びです。ニコラス神父には、仕えることそのものが喜びなのです。
イエズス会の入会候補者に求める数々の資質のうち、次のことが最も重要だとニコラス神父は書いています。「私たちは、完成しきった聖人を求めていません。他者への奉仕を人生における十分な報酬として受け取り、自分の行動に対する賞賛を追い求めない人が欲しいのです。」
ニコラス神父は、この世で自分のために報酬を決して求めませんでした。永遠のいのちという報いをいただけると信じました。尽きることのない喜びを、愛する主と共にいただける、と信じていました。
ニコラス神父様の仕える態度から、私も学びたいです。
私たちが、愚痴っぽくならず、神と人に仕える道を進めるよう、主に恵みを願いましょう。
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