福音朗読:マルコによる福音13:24~32
来週は年間最後の主日「王たるキリスト」です。再来週からは、新しい典礼歴(来年はC年)待降節に入ります。典礼暦も終わりに近いこの季節、教会では、「終末」について朗読されます。
「終末」には、天変地異 太陽が暗くなるような「世の終わり」であったり、私たちの生き方が「裁かれる」「審判」の意味があります。だから、恐ろしいイメージを持ちやすいかもしれません。
また「終末」には、私たちの歩みが「救い」「完成」に向かっている意味があります。
先週、急に塗油のご依頼があって、病院に向かいました。急変された、お母様が入院されていましたが、ご家族は「これまで通り自宅で待降節を迎えたい」と思うようになりました。
一人の娘さんが入院の付き添いをしながら、もう一人の娘さん夫婦が、2階にあった寝室を1階に下ろして、退院の準備をされていました。
入院先の先生が、自宅まで一緒に来られて、点滴が正確に繋がれた事を確認されることになりました。また、自宅に戻られてからも、遠隔で様子をお医者様が確認してくださり、自宅でも手厚く医療が受けられます。
「せめてあと一日」自宅で家族と過ごしたい。イエス様の誕生をお迎えしたい。
そのお気持ちは「終末」と重なっているように思います。不安で苦しくても、一日一日、「救い」「完成」に向かっていく。
自宅に戻られたお母様は、旦那様、娘さん二人、孫娘夫婦、孫息子夫婦、ひ孫三人、弟、姪、甥の一人一人と手を握りながら話しができました。
不安を抱えておられたご家族は昨日、家族で一緒にクリスマスをお祝いできました。
「後どれだけの命だろう?」 私たちはあまりそう考えないかもしれません。
でも、今日はかけがえがない一日。その一日、心を神様に向き直し新しく再スタートする。「終末」には、そのような意味があります。
不安の中にも神様は救いを実現してくださいます。お病気の方、ご家族様に、神様は特別の励ましをくださいます。
2つ目のお話です。今日は11月の第3日曜日、東京教区では「ミャンマーデー」に定めています。きっかけは、東京教区とドイツのケルン教区のパートナーシップです。
1954年、戦後ケルンがまだ苦しい時代に、フリングス枢機卿は「もっと必要のある教会を助けるように」とケルン教区の信徒を励ました。そしてケルン教区と東京教区(上智大学へも支援)の友好が開始(フリングス枢機卿と土井辰雄枢機卿)されます。
フリングス枢機卿は「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」と信徒に呼びかけました。ヴァチカンを介せずに教区と教区とがお互いに助け合うという稀に見るケースが成立しました。そして、毎年、1月最後の日曜日はケルン中の教会全ての献金がパーナーシップのために捧げられました。日本人宛の愛の献金は莫大な支援となって東京教区(イグナチオ教会の現在の聖堂・旧聖堂)と上智大学(法学部と理工学部の設立)を助けてくれました。
1979年、両教区の友好25周年にあたり、来日した当時のケルン教区長ヘフナー枢機卿と白柳大司教はケルン精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマー(旧ビルマ)の教会を支援することに合意しました。
こうして毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになりました。ミャンマーが支援先に選ばれたのは当時ミャンマーが最も貧しい国の一つであり、援助を必要としていたからです。
菊地枢機卿様からは「軍による支配が続いているミャンマーの人々の安全と安心のために、お祈りください。不安な方のためにこれまで以上の支援とお祈り」をお願いされています。
ミャンマーデーの献金は特に司祭養成のために,ミャンマー国内の神学校建設などに充てられます。献金とお祈りの支援をお願いします。
たとえ不安で苦しくても、私たちは一日一日、「救い」「完成」に向かっています。神様が共にいて励ましてくださいます。お病気の方、ご家族様、ミャンマーのためにお祈りしましょう。
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