福音朗読:マルコによる福音 10:46〜52
イエス様と弟子たちはエリコを出てエルサレムに向かう道を進んでいました。
その「道」端にバルティマイは座って物乞いをしていました。
イエス様が歩もうとしている「道」はエルサレムの十字架に向かう「道」、バルティマイはその途中のイエス様に叫んで求めます。
バルティマイは「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫びます。
黙らせようとする周りの声にもめげずに「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び続けます。
叫ぶ心で憐れみを願う。そんな気持ちになったことがおありでしょうか?
10月、この時期は、修道会に入会を願う人たちが入会願書を書くかどうか?識別する時期です。
若い人は「怖いものなし」で、希望に胸を膨らまされているかもしれません。
けれども、私もそうでしたが、30代も半ばを過ぎると、不安の気持ちの方が強くなります。
「私に何ができるでしょうか?」
「何もできないかもしれない私を憐んでください。」
「どうか私に“道”を示してください。」
そう願い求める気持ちは、盲人の物乞いバルティマイと重なります。
「自分の力では何もできません、イエス様あなたの力にすがるしかありません。」
「イエス様、どうか私を憐んでください。」
そんな叫ぶ祈りを繰り返して、入会志願するかどうか? 識別していきます。
「神様、“道”を示してください」と願うのは入会前だけではありません。
司祭に叙階して14年経った私も「イエス様を憐れんでください」「道を示して下さい」と願っています。願った末にもらえた言葉をご紹介します。
実は、私に直接のメッセージではないですが、大きなヒントをもらいました。
ある外国の神父さんが信者さんにあてたメッセージです。
My Dear Noriko Your gentleness and loving care for others make so many people happy. May God give you the strength to continue to be available to all who need you. Yours in Christ. Fr. Edmond Nemes, S.J. 親愛なるのりこさん、あなたの優しさと愛に溢れた人との関わりは、たくさんの人を幸せにします。どうか神様がこれからも、あなたを必要とする全ての人に、自分を役立てる力を与えてくださいますように。 キリストにおいて ネメシュ
「私に何ができるでしょうか?」「私を憐んでください」と願っていた私が何をしたらいいのか?
このメッセージは教えてくれました。
「自分を役立てる力」を神様に求めたらいい。Availability はイエズス会が大事にしている言葉で「応需性」と訳されますが、その場その場で求められることを果たす態度です。
「自分に何ができるでしょうか?」と考えて不安になるよりも「その場その場で自分を役立てる力を神様に求めたらいい」そう思えるようになりました。
「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」
「目が見えるようになった」バルティマイは、その道(エルサレムの十字架)へと進むイエス様に従います。
自分に無力に感じていても、神様は願うものを明確にして、実現する力を与えてくれます。
私たちそれぞれが、イエス様に憐れみを求めていきましょう。
時に予想と違うことがあっても、自己犠牲を求められることがあっても、イエス様の「道」を歩んでいきましょう。
修道者を志願している人たちに「道」が示されるよう、ご一緒に願い求めましょう。
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