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年間第30主日

福音朗読:マタイによる福音 22:34〜40

 

 

先週は、山口教会で教会使徒職委員会がありました。使徒職委員の英神父、アルフレッド神父さん、百瀬神父とこれからの教会のことを話し合いをしました。 イグナチオ教会の歴代の主任司祭、カンガス神父(97歳)、ヴィタリ神父(85歳)ともお会いできました。「イグナチオ教会の皆さんによろしくお伝えください」とのことでした。


『リジュのテレーズ』(菊地多嘉子著 清水書院 1994年)

行き帰りの移動時間で『リジュのテレーズ』(菊地多嘉子著 清水書院 1994年)を読んでいました。福音と結び付けて本の中からご紹介します。


テレーズは、人目を引く偉大なわざには重きを置きませんでした。かえって、絶え間のない努力を尽くして神により頼むことの大切さを強調します。

「主よ」「主よ」と口先で叫ぶだけでは神の国に入ることはできない。「最善を尽くして、神のみ心を全うしなければならない」 「愛は、わざによって証明される」 

その実例です。「言葉や態度で周囲を不愉快にするシスターには、誰もあえて近づこうとはしない。しかし、テレーズはそんな人こそ本当の愛を必要としていると気付きます。そして、親しく話しかけます。気難しいシスターが、テレーズを唯一無二の親友であるようの思ってしまうほどでした。」


けれども、テレーズは実践だけが重要とも考えていませんでした。「聖徳はあれこれの徳を実践することでもありません。神の手のうちに貧しく小さいままでとどまり、自分の弱さを知ること。そして、神の慈愛に大胆に信頼する心構えにあります」 実践と神への信頼のパラドックスを解くのが「愛」です。「外面に現れた聖性ではなく、そこに込める愛が大切です。愛があればこそ不可能と思えることが実現します」 


観想修道会の生活は、外部の目からは隠された単調な日々で、すべてが内面に向かいます。ここで本質を見失うとき、生活自体は全く無意味に見えてくる。テレーズは、すべてを愛によって果たすと言う単純な、そして英雄的な実践に修道女たちを導きました。十字架のヨハネの勧告から、テレーズは光を受けていました。

「純粋な愛の行為は、それがどんなに小さくても、他の一切を集めたよりも教会のために有益である。魂が速やかに愛に焼き尽くされ、神を顔と顔を合わせて眺めることができるように、ただひたすら愛を実践することは重要なことです。 P 78〜79 「愛の優位性」P111 「相互愛の掟」


園児に”Chao!”を教えるヴィタリ神父さん
園児に”Chao!”を教えるヴィタリ神父さん

ここまではテレーズの本からの紹介でした。次は「山口での愛の実践の例」です。 

以前、山口天使幼稚園だったヴィタリ神父さんは、山口の商店街で、クリスマスの前に年長児さんが街頭募金をすることを思いつきます。クリスマス劇が終わった土日、街頭募金をします。私が山口で働いたのは東日本大震災の後2011年〜2013年でした。

園児さんは大きな声で「福島のお友達のために募金お願いします」と叫びます。山口の商店街のアーケードに子どもたちの声が響きます。だんだんと喉がかれてきます。それでも頑張り続けます。先生たちも一緒に声を張り上げます。先生方は、私と東北の被災地でボランティアに出かけていて、現地のことがわかっています。


募金は、原発事故があった福島の幼稚園のお友達のために使われました。放射能から守る砂場小屋になったり、クリスマスケーキになったり、思いも掛けないプレゼントになりました。

山口の幼稚園の気持ちを福島の方たちに目で見える形で伝えました。具体的な助けにもなりましたが、もっと大きなのは、心の支えでした。


福島の幼稚園の保護者の感想です。 

自分の子どもと同い年の子たちが喉をからして応援してくれている。

子育てが楽しいはずなのに・・・放射能のことで心配ばかりしている。もっと子育てを楽しんでいこうと思えるようになりました。

自分たちは忘れられてない。不満やストレスが多い毎日・・でも頑張っていこうという気持ちになれました。

テレーズは愛に基づく神への信頼の道を教えてくれました。幼稚園児さんは街頭募金で隣人愛を実践しました。私たちがそれぞれに、神と人への愛を実践していきましょう。



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