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律法・マニュアルより人を生かすこと

年間第22主日

 マルコによる福音 7:1-8、14〜15、21〜23

 

今日は2つのお話をします。どちらも決め事に関するもの、1つ目は律法についてです。


ユダヤ教徒は、旧約聖書の教え、十戒などの文書にしてある律法に基づいて生活することになっていました。しかし、はっきり文書にしてある律法は限られていました。実際の生活を、旧約聖書の教えにどのように適応させる必要がありました。そのためにファリサイ派のたちは大変な努力を払っていました。熱心に聖書を研究し、膨大な口伝律法(口で言い伝える)を生み出しました。研究は止まることを知らず、どのような律法を守るのか? 口伝律法を増やします。やがて、それを守る守らないで、救われる、救われない、まで左右するように錯覚していきました。


「食事の規定」で手を洗うのは、私たちが「食事の前に手を洗う」という衛生上の配慮、というより、祭儀(神殿でのユダヤ教の祭りごと)の清めのためです。ラビたちは、手を洗うための水の量や洗い方まで規定するようになりました。

このような宗教的意味合いが実際の生活を不自由にしていきます。


汚れないために「手を洗うこと」にこだわったファリサイ派や律法学者を食事の前に手を洗わないイエス様の弟子たちを非難します。 神を冒涜する者とみなしました。

イエス様は彼らを罪のリストにあげて自分の欲深さに染まっていると非難します。

律法が人を支配する、縛ってしまう。 イエス様は、人を生かすことが律法よりも大事だと説きました。


10時ミサ後に防災訓練を行いました

二つ目のお話は防災について、命を守ること、決め事、マニュアルに関わる内容です。

私が防災を強く意識するようになった体験です。長くなりますがお聞きください。


東日本大震災で児童・教員、84名が亡くなった石巻市、旧大川小学校を訪れた時、小学6年生のみずほちゃんを亡くされた佐藤敏郎さんからお話を聞きました。


大川学校にいた77人中74名が津波の犠牲になり、先生たち10名も亡くなった。

10人の先生は何をしていたか? サボってたわけじゃない。 

ゆっくり歩いても間に合ったのに、ずっと校庭にとどまった。動き出したのは津波が来る1分前だった。1分でも、山の方に逃げたら助かったのに、津波の方に進んでいった。


想像してみてください。この1分間を。「津波が来るぞ!」

60数センチの狭いフェンスの間を全員すり抜けたと思ったら8メートルの津波が来た。先生たちどうしたと思いますか? 

抱きしめるしかない。先生たちは抱きしめて、覆いかぶさって、津波に流された。

子供を救いたくない先生はいない。親の気持ちで言ったら「救って欲しかった命」

先生にとっては「救いたかった命」であるのは間違いない。「救えたでしょう?」というのも事実。


「救いたかった命」「救って欲しかった命」「救えたでしょう?という命」「救えなかった命」

全部同じ命。4つの命のど真ん中に私がいる。

先生たちは「仕方がなかった」とは思ってない。「悔しかったはず」

先生たちも守りたかった・・・しかし津波を前にして子供を抱きしめても守れない。

その後悔にしっかり向き合いたい。


山に逃げた子は、「戻れ!」と連れ戻された。「先生早く逃げろ!」と言った子は「黙ってろ!」と言われた。あの瞬間の子どもたちの表情はどうだったろう? うちの娘はどんな顔だったのか? 子どもたちは、冷たくて怖くて・・・津波にのまれて数秒後に死んでいった。


2019年12月に大川小学校を訪問した時の様子

救う条件は全て揃っていた。防災の研修会、時間、情報、手段・・・

険しい山を登って助かった学校、いくらでもあります。

大川小は、そう言った学校に比べたら救う条件は揃っていた。

でも、組織としての意思決定ができなかった。行ってはいけない方に、行ってしまった。

調べれば調べるほど、逃げたがっていた先生が多い。

チームとしての意思決定にならなかった。

大川小に来られた方は「ここ(避難したら助かった山)は、簡単に登れるね」とみんな言う。

山はそれ自体、命を救ってくれない。登らないと救われない。

命を救うのは、山ではなく、人間の判断と行動。訓練やマニュアルもそう。不要なわけではない。

あの場面では、本質ではない。「ここにいてはダメだ! 逃げろ!」と言う発言と判断が必要だった。それが言えた学校はみんな助かっている。


パニックになると正しい判断はできなくなる。だからマニュアルがある。大川小学校もマニュアルはあった。そこには「近くの空き地か公園に逃げる」とあった。でも実際には、空き地も公園もない。実体のないマニュアルだったことを校長以下誰も知らない。何故こうなってしまったのか?

マニュアル担当の先生は「津波が来ると思ってなかった。一般的な災害として受け止めていた。だから、文言を入れただけ」 市教員は「マニュアル作れ、作れ」と通達を出した。

その時に山梨県の参考例を添付した。だから、このマニュアルは何のために作ったのだろう?

子どもの命を守るためではなく、提出のためのマニュアル。


想定内なら、マニュアルも訓練も必要ない。

想定外で通用するか? 想定外に対応して行動するのは実はそんなに難しいことではない。

「念のため」と言うこと。津波であの時、助かった人はみんな「念のため」に行動している。


目の前に時速60〜80キロの津波が来たら間に合わない。まだ津波は遠いけれども、見えないけれども「念のために」行動した人はみんな助かっている。


「念のため」には「ギア」がある。365日、24時間、津波を警戒し続けることはできない。

「ギア」を入れる。学校の「ギア」の入れ方は、一般の方よりも「早く」「高く」入れないといけない。


では、どうやって「ギア」を入れるか? 「高く」入れられるか?

学校の先生は、そんな話を聞くと「わぁ、これから忙しくなるな」と言う人がいます。

「また、通達が来る」「分厚いマニュアル整備しろとか言われる」「報告しないといけない」「会議が長くなる」・・・こう言う提出物を作るのはやめる。

むしろ、大川小学校から学んだことは「提出物ではない」と言うこと。


「あそこには笑顔で通った学校があった」と言うこと。

それが一瞬にしてなくなったことにしっかり向き合ったらいい。

あそこは、子どもたちが遊んでいた場所、先生たちもいろんな活動を一緒にした場所・・・

それをしっかり見つめる、それが一瞬にしてなくなった。それに向き合えば、勝手に「ギアは上がる」命を輝かせればいい。子どもたちをキラキラさせる。そうすれば、「絶対に守りたい!」と言う気持ちになる。子どもたち自身も「輝く命だからここで死んではダメだ!」と思うはず。


私が教員として一番変わったのは「子どもへのまなざし」「命をどう見るか?」です。

「かけがえのない命」と何度も言ってきましたけど、震災後は命が大切だなんてものではなくて、頭から足の爪先まで「命」。それまでそう思ってなかった。生徒だと思ってた。私のクラスの生徒。座ってて当たり前、国語の教科書出してる生徒、この子は国語が苦手な生徒、親が給食費を滞納している生徒、・・・と思ってました。でもその前に「命」

「命」がかばんを背負ってくる。「命」が教科書開いてる。そう思うようになりました。

「学校に来てる」と言うことは、子どもたちに服を着せてご飯食べさせて「行ってらっしゃい」と言う人がいると言うこと。それが「命」と言うことだと思います。一個しかない命、それを育ててくれる人がいる。「行ってらっしゃい」「ただいま」・・・命のやり取りの大切さ。


2019年12月に大川小学校を訪問した時の様子

「小さな命の意味を考える会」を2013年に作りました。いろんな方と大川小のことを考えたい。

「命は小さいですか?」もちろん「小さい」 あんなに簡単に、地球がちょっと震えただけで2万人も一瞬で死んでしまう。そんな弱いものはない。しかも一個しかない。

でも、意味を考えると、「こんなに深くて重いものは他にない」


「念のため」


教育はどのような「未来」を作るか? 東日本大震災は辛いだけの過去ではない。「未来」のための「過去」

 

南海トラフ地震の予測。とんでもない地震が来る・・・

30数万人が亡くなる予測。私たち教員はどのような「未来」を作るか?

津波・地震が来る「未来」は変えられない。でも30数万人が亡くなるという「未来」は変えられる。どうやって? 今、考えて、行動していくことで変えられる。


宮城県の反省は「巨大地震と津波が来るよ」と聞いていたのに、「行動したくなかった」

家が流される、悲しむ人がいっぱい出てくる・・・そういう「未来」を想像したくなかった。

だから「大丈夫じゃないか?」「大したことないんじゃないか?」と油断して、言い聞かせた。

違いますよね。私たちが想像しなければならない「未来」はものすごい津波が来ることを想像して、みんなが亡くなって悲しむのを想像するのではなくて、みんなが「念のため」に避難して丘の上で再会して「良かったね」と抱き合う「未来」を想像すること。その「未来」を作るのは「教育」。

脅しではなく、ハッピーエンドの「教育」そのためには現実を知って、「念のため」を深めていく。

佐藤敏郎さんは、私たちの体験を使ってください。(涙を抑えながら、みずほちゃんに、お父さんは伝えたよ)


佐藤さんの体験を使って、命を守っていきましょう。

律法、マニュアル、考え出したものが、人を縛るものではなく、人を生かすものにしていきましょう。



 

参考動画


  • 大川小遺族の10年【#あれから私は】




  • 大川小学校から「命の授業」~もしもはいつもの中にある~(2021年3月11日)




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