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年間第22主日 人間の思いから神の思いへ

福音朗読:マタイによる福音16:21〜27

 

ペトロ・ザビエルの人間の思いから神の思いへ


今日は2つのお話をします。1つ目は、ペトロの話です。


イエス様の一番弟子になったペトロ

先週の福音でペトロは「あなたはメシア、生ける神の子」と、イエス様のことを的確に表現しています。イエス様からも「私はあなたに天の国の鍵を授ける」と言われてその気になったでしょう。けれども、今日の福音でイエス様が「人の子は多くの苦しみを受け・・・。」と受難予告をされるとペトロは動揺します。ペトロはイエス様を脇へお連れして、「いさめ始めます。」ペトロは旧約で育っているので、王と言えば君臨する王です。イメージと違ったから、ペトロは“人間の思い”で「そんなことがあってはなりません」と否定します。するとイエス様に「サタン(誘惑する悪い者)、引き下がれ」ときつく言われてしまいます。人間の思いは「悪だ」と言われてしまいます。

World Youth Day 2023 Lisbon への巡礼団が書いた寄せ書き
今日はイグナチオ・ユース・ディが行われました

福音書の中で、イエス様はたくさんの「身体的な悪」から解放していました。「イエスから力が出て、すべての者をいやしていました」(ルカ6:19) 

わたしたちも「身体的な悪」からの解放を願います。


けれども、もっと底の深い「道徳的な悪」に対してイエス様は別の方法を取っていました。イエス様自身が「悪」を背負う方法でした。鞭打たれて押しつぶされるのを受け入れました。十字架上で自分の命を捧げます。そして、十字架からのゆるしを通して「悪」に打ち勝ちました。ペトロは、イエス様が十字架に掛けられることで、「サタン 誘惑する悪い者」から「イエス様の一番弟子」にしていただきました。

ペトロの“人間の思い”を、イエス様が背負ってくださいました。

イエス様の愛と赦しのおかげでぺトロは一番弟子になれました。


人間の思いから神様中心の生き方に変わったザビエル

2つ目のお話は「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか」の言葉です。


聖フランシスコ・ザビエル(ザビエル聖堂)
聖フランシスコ・ザビエル(ザビエル聖堂)

このみ言葉は、フランシスコ・ザビエルを回心に導いた言葉として知られています。サビエルは、ナバラ王国の田舎町出身です。兄が二人いましたが、軍人としての栄誉を目指しました。

一方のザビエルは、教会の中で出世しようと考えました。教区司祭になって聖職録(神父の給料)をもらうことを目指してパリで勉強します。勉強ができたザビエルは、故郷の司教になって沢山の収入を得ようと考えました。でもそれは、“人間の思い”からでした。


パリ大学での4年間の勉学を終えると、ザビエルは哲学の先生になり、アリストテレスの講義を始めます。その内容が学内でも評判になります。出世の手応えを感じていたのでしょう。


そんなザビエルにイグナチオが“神様の思い”を伝えます。パリ大学の寮で同室だったイグナチオは、ザビエルの才能と野心的な魅力を見抜いて神の国を築く仲間にしたいと考えます。そして「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか」と何度も呼び掛けます。はじめのうちは、イグナチオを煙たがっていたザビエルでしたが、修道女だった姉の急死を転機に、このみ言葉を真剣に受け止めるようになりました。“人間の思い”=故郷の教会で出世しようと考えていたザビエルは、“全てを神に委ねる決心”をします。聖職禄で実家を立て直す、“人間の思い”から、神様の思い“に人生を転換します。イエズス会の創立メンバーになり、日本にキリスト教をもたらしました。


ペトロは「サタン(誘惑する悪い者)」と言われてしまいますが、イエス様が十字架に掛かることで「悪」から解放されます。一番弟子にもなります。 


ザビエルは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか」のみ言葉を自問自答して、“人間の思い“から神様中心の生き方に変えました。 


私たちも、“人間の思い”から“神様の思い”に生き方を変えられるように願いましょう。

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