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年間第12主日 自然奇跡(マルコ4:35~41) 

 今日は2つのお話をします。1つ目は、癒しの奇跡と自然奇跡の違いです。


 奇跡には、まず病気を癒す奇跡があります。たくさんの心と体に病を負った人たちをイエスは癒されました。この癒しのわざは、多くの人の眼の前で行われています。それとは別に「自然奇跡」と呼ばれるものがあります。今日の福音もその一つです。嵐を静める(マタイ8・23~27)もの、魚を網いっぱいにした話(ルカ5・4)、パンを増やす話(マタイ14・13~21)があります。どれも不思議な出来事ですが、この自然奇跡が起こるのは、イエスさまと弟子たちとの間での出来事が多いです。つまり、信仰がある程度前提とされているのです。神様は、洗礼を受けた私たちなら、わかってくれるだろうと期待して、起こしている出来事があるのでしょう。信仰の目で、物事を見られるようになりたいものです。


 2つ目は、この自然奇跡を目の当たりにした弟子たちの反応です。弟子たちは「非常に恐れて」とあります。神様が起こした出来事に「恐れ」「驚い」ています。同じような反応を示す場面は他にもあります。マリア様はガブリエルの受胎告知に「戸惑い」ます(ルカ1:29)。「ザカリアは天使の出現で恐怖の念に襲われます」(ルカ1:12)。新しい王の誕生の知らせに、「ヘロデは激しくろうばい」します(マタイ2:3)。、「水上を歩くイエスを弟子たちは幽霊と見間います」(マタイ14:26)。この登場人物は、神様が示された出来事に強い衝撃を受けています。この中で、一瞬、動揺しますが、すぐに神様の計画を受け入れたのはマリアさまだけです。「み言葉通りにこの身になりますように」と受け入れます。


 他の人たちは、たじろいでいます。ヘロデに至っては、神様の計画を破壊しようとします。私たちは、驚いたあと、神様の計画を受け入れられるでしょうか?


 大切なことは、動じないこと、予測できないことが起きても「織り込み済み」と受け入れることです。突然、受胎告知された、マリア様は動じませんでした。神様のなさることは、自分の思いを超えている、とすぐに飲み込めました。私たちは、このマリアさまの態度を知っています。神様の計画に直面したマリア様がお手本になります。神様の計画は、私たちでは窺い知れないものとして、織り込み済みになるのが大事です。


 皆さんは、マリア様に近いでしょうか?うろたえる弟子たちに近いでしょうか? 


 実は、このミサは、別の神父さんの担当でしたが、体調が悪くで、私がピンチヒッターをしています。たじろぎましたが、受け入れました。次からは、こういうことは起こるもの、と織り込み済み、になれたらと思います。


 イエスさまは、身内の弟子たちに自然奇跡を行いました。それでも、弟子たちはうろたえてしまいました。神様は私たちならわかってくれるだろう、と色々な出来事を起こします。それが起きた時に、慌てふためくのではなくて、マリアさまのように動じない、織り込み済みで受け入れられるように願いましょう。

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