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復活節第3主日 ルカ24:35〜48

徳山教会の主任、2つの園長をしていた柴田神父です。これからどうかよろしくお願いします。


徳山での最後の日、駅にはたくさんの幼稚園のご家族、信者さんが見送りに来てくれてました。一緒に写真を撮ったり、お別れの握手をしたり・・・中には「行かないで」と袖を引っ張ってくる子たちもいました。名残惜しく手を振りながら改札を入ると、ホームで待っているご家族もいました。中にはプラカードを用意してきたお友だちもいました。

ひろとくんという卒園した子は「えんちょうせんせい だいすき ありがとう」

けんちゃんという年少の男の子は「えんちょうせんせい がんばってね」

子どもたちが、自分の思いを表現してくれました。思い出すと涙が出てきます。お別れは悲しい。でも「こんなに思われてるんだ」 「子どもたちと一緒で幸せだった」とも感じます。

お別れは辛いけど素敵な体験にもなりました。


では弟子たちのイエス様とどんなお別れをしたのでしょう? とても素敵と言えるものじゃありませんでした。思い出したら斬鬼の念しかないでしょう。

「彼らは、恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」「なぜ、うろたえているのか?」

弟子たちは「自分も同じ目に遭う」「逃げなきゃ!」という“恐怖”。大好きだった先生を助けられなかった、それどころか見捨てて逃げてしまった、“後悔”。 イエス様とのお別れに、ポジティブなものは何もありませんでした。


そんな弟子たちにイエス様が現れて2つのことをされます。

1つは“ゆるし”です。「あなた方に平和があるように」 “恐怖”と”後悔“を払拭しようとされます。傷ついた体を見せて、触らせて、”ゆるし“を与えます。 「私は、こんなに苦しい思いをした。でも、構わない。お前たちを”ゆるす“。お前たちが強くなるためだったら、何でもしてあげたかった。」 そんな思いでしょう。でも、弟子たちは、まだ受け止めきれずにいます。

2つ目、“ミッション”を与えます。「あなた方はこれらのことの証人となる。」 イエス様は“ゆるし”を与えると、すぐ“ミッション”に派遣されます。 反省の時間を設けて、反省文を書かせてから遣わすのではありません。“ゆるす”とすぐに派遣します。イエス様のイニシアティブです。


復活したイエス様から“ミッション”を与えられることは大きな励みです。“ミッション”は、生きていく上でとても大切です。私たちが成長するのは、良い体験をするだけでなく“ミッション”を与えられるからです。“ミッション”が生涯を通して成長させてくれます。幾つになっても、どんな状況でも“使命”が与えられます。だから「神様は今、私にどんな“使命”を与えておられるのだろう?」と考えることが大切です。“ミッション”を持つことは、健康な時、何でもできるエネルギーがあるときは比較的簡単です。でも、体が思うように動かなかったり、いろいろな制約があるときには難しく感じます。それでも、元気な時のように自分を捧げることはできます。神様のため、教会のため、愛する人たちのために人生を捧げることができます。「自分はもう役に立たない」「この状況では何もできない」と思うことは大きな誘惑です。 そうならないために、イエス様は弟子たちに現れて“ミッション”を与えました。


徳山でお別れをした子どもたちは「いつか園長先生に会いに行きたい」「四ツ谷のイグナチオ教会ってどんな教会?」「園長先生はどんなお仕事してるだろう?」時々、思い出してくれてるでしょう。 再会したとき「よく来たね!」「大きくなったね!」「園長先生は、こんなお仕事してきたんだよ!」と胸を張って言えるようにしたいです。 見送ってくれた子どもたちの思いを胸に刻んでスタートしています。

 復活されたイエス様から“ゆるし”と“ミッション”をいただいた私たちも、新しいスタートを切っていきましょう。

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