top of page

聖母被昇天(ルカ1:39~47)

導入

 聖母被昇天がカトリック教会で教義(信ずべき教会の基本的な教え)宣言されたのは1950年です。第一次世界大戦で1600万人の死者が出ました。30数年を経て起きた第2次世界大戦の死者は5千万〜8千万人と言われています。教会は2度の大戦を止められなかったのか?ナチス・ドイツに加担したのではないか?多くの人たちが悲しみと挫折感に打ちのめされていました。「信仰に意味があるのか?」答えを真剣に求めていました。

 2度の世界大戦の苦しみから立ち上がる力をマリア様からもらいたい。その願いが聖母被昇天の教義宣言になりました。平和を求めて聖母被昇天のミサを始めましょう。

説教

昇天の意味

 1つ目は、昇天の意味です。主の祈りで「天におられる」と天の父に呼びかけます。イエス様は、目を「天」に上げながら天の父に祈りました。そして、同じように私たちも視線を「天」に向けて祈ります。私たちの父は、どこにおられるかまったくわからない方ではありません。「天」という、父がおられる場所に向かって祈りを捧げます。「」は、信仰の旅の始まりと目的地です。「天」は神様の素晴らしさ(善)であふれています。また、イエス自身の誕生、十字架、復活、昇天のように、わたしたちも「天の父へ」と帰還していきます。

 マリア様は、イエス様の次に昇天されました。それは「私たちに先駆けて」という意味です。昇天は、イエス様だけ、マリア様だけ、と限定されているのではありません。マリア様は、私たちが天に昇ってこられるのを心待ちにしておられます。そのための助けを惜しみません。

 世の終わりには、聖母はとても穏やかであられると思います。しかし、この世が続く限り、世界中の苦しみあえぐ人々(2度の世界大戦で傷ついた人々)は、聖母にとりなしを求め続けるでしょう。聖母は、子沢山のお母さんのようです。泣いている子から、泣いている子へのお世話にいつも追われています。(『聖ヴィアンネの精神』 モンナン神父・著 久保守訳 聖母文庫 P88聖母についての要理 一部表記を改めました。)

平和への願い

 2020年8月6日にNHKで放送された「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」からご紹介します。


医学生だった濱清さんの言葉です

 長崎の爆心地は、浦上天主堂のすぐそばです。私が行った救護所のほとんどの被爆者がクリスチャンでした。その方々が、起き上がれない人も、みんな助け合って起きて、夕方になるとお祈りをされるんです。それを見た時に、初めは本当に腹が立ちました。これほどむごいことを信者たちに与えることを許した神様がどうして祈りの対象なのか?と思ったんです。しかし、後になって考えました。あの人たちの祈りは、原子爆弾を作り、落とした人を含めて、人間が犯した罪への謝罪の祈りだったんじゃないか? すべてを失った人間の最後の最高の尊厳を見たのではないか? と思うようになりました。

 また、原爆の開発と投下を指示したアメリカ陸軍トーマス・ファレル准将は、1946年1月の手記は、核の恐怖に支配されていく世界への警告とも取れる言葉で締めくくられています。

 広島と長崎は、このとてつもない強力な兵器が、我々によって、そして我々に対して、決して使用されてはならないことを示す恐ろしい証拠です。原子爆弾をコントロールできなければ、また国と国が共に生きることを学ばなければ、いずれ、世界の大都市とそこに住む人は徹底的な破壊と突然の死に直面することになる。(一部表記を改めました)

 マリア様は、私たちも昇天できるように助けてくれます。その思いを理解しましょう。そして、平和への強い願いを持ちましょう。

閲覧数:162回0件のコメント

最新記事

すべて表示

聖金曜日

bottom of page