皆さん、私たちは今日から四旬節に入りました。 教会は、「回心」を呼びかけています。「回心」「悔い改め」というと気が重くなる、ネガティブに受け取る方も多いかもしれませんが、キリスト教は「罪」を「罰」を結びつけるのではなく、「罪」と「恵み」をセットで考えます。 「罪」を意識することは、「神の恵み」に近付くことです。「神の恵み」に立ち返る「回心」をしていきましょう。
説教の後、私たちは灰を受けます。灰は、人間のはかなさ、悔い改めが必要なこと、復活への望みのメッセージが込められています。今日から始まる四旬節の間、私たちは灰のシンボルに導かれて、主の復活を準備します。

今日は大斎です。朝食を半分以下、昼食は通常通り、夕食を半分に減らすなど十分な食事をこの日は1回だけにして、キリストの秘義に近づこうとします。 四旬節には、今日と聖金曜日が大斎に当たり、60歳以下の健康な成人に義務付けられています。もちろん、断食して節制することは大事ですが、断食とは自分の食事の量を調整することだけを意味するわけではありません。イザヤ書58章の6節以下にこうあります。
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて 虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ 裸の人に会えば衣を着せかけ 同胞に助けを惜しまないこと。」
このような「断食」の精神を四旬節の間大事にしましょう。
第2朗読から この節の最後で「今や恵みの時、今こそ救いの日。」(第2コリント書6:2) 「今」というこの言葉を黙想する大切です。
「今」という言葉は、神の恵み、回心への招き、生活の変化が明日のことではなく、今のことだと想い起こさせます。私たちの大きな誘惑は、何か良いことを提案しようとする時(もっとよく祈りたい、もっと勤勉でありたい、赦したいなど)、明日しようと考えることです。
けれども、神の恵みは今のことだと思わせます。今、私たちは神の恵みを受け入れなければなりません。今、私たちは赦さなければならなりません。今、私たちは希望しなければなほおが。今、私たちは変わらなければなりません。今こそ、神の恵みを受け入れる時、救いの日です。もっと自由な時を、もっと考えるゆとりがある時を期待すべきではありません。今がその時である。今が神の救いを受け取るときです。

福音の箇所には、私がとても大事にしているイエス様の言葉があります。霊的生活のために、大切な鍵になる言葉で重要なので3回も繰り返されています。「隠れたことを見ておられる父が報いてくださる。」という言葉です。
私たちは、日頃多くのことをします。そして、時にはそのことによって何か報いを得ます。けれども、誰からも報いが得られないそのような時が肝心。その時こそ私たちは神のみ前に真実なのです。行っていることの意味や実りをはっきりしないときこそ、私たちは、神のみ前で自由で真実なのです。神様は密かに私に報いてくださる。 私にはこのことが分からないかもしれません。でも、これは事実です。その時に、私たちは、見えないことが見えることよりも豊かであることを理解し始めます。私たちの日常に永遠が入り込みます。この様な瞬間を体験できると大きな喜びになります。
神様は私たちの心の思いを見通されています。私たちが何を神に差し上げることができるかをご存知です。出し惜しみしないで与えていきましょう。
灰に過ぎない私たちが、報いを期待しないで与えることは何でしょうか?
洗礼志願者とともに探していきましょう。
65名の洗礼志願者とともに「神の恵みに立ち返る」回心の歩みを始めましょう。
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