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年間第19主日 聖体の意味と平和(ヨハネ6:41〜51)


今日は、2つのお話をします。


ご聖体、命のパン

1つ目です。先週の日曜日の朝、アロイジオ中井千之さんが天に召されました。息子さんの一人、淳神父さんと私は、イエズス会の入会、司祭叙階、最終誓願も一緒でした。千之さんは、家族が信者ではない私を気遣って「柴田さん、どう?元気?」と顔をあわせると、いつも優しい声をかけてくれました。皆さんも、同じように優しく励まされた体験がおありでしょう。お亡くなりになられる9日前に、兄の智さんから「父が思わしくなくて・・今日か明日です」と連絡がありました。淳神父さんが山口からもどるのでは間に合わない、と私がご聖体と塗油を授けに伺いました。高い方の血圧もかなり下がっていて、看護師さんは「今日か明日」と言われます。でも、ご聖体が拝領できそうだったので、寝室にお邪魔します。

「主よ。あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう。」ご聖体をいただきながら「アーメン、ありがとう」と言われます。塗油を授けた時も「アーメン、ありがとう」 秘跡をいただいて、血圧も上がり持ち直されました。

 1週間、家族とお別れの時間を作ることができました。


「わたしは天から降って来た、命のパンである」  ご聖体には、本当に力があります。ご聖体は、千之さんを生かして、支えて、思い残すことがないようにしてくれました。文字通り「命のパン」でした。お通夜と葬儀では、モーツアルトの「アヴェ ヴェルム コルプス」がオルガンで演奏されました。

歌詞には「死を迎える試練の前にどうか 聖体を私たちに味合わせてください。」とあります。


関心のある方は、どうかお聞きください。

参考動画:Wolfgang Amadeus Mozart - Ave Verum Corpus

 ご聖体、命のパンの意味を千之さんが教えてくれました。

平和の道具になりましょう

 続いては平和のお話です。教会は平和旬間に入りました。(8月6〜15日)このミサの献金はミャンマーの人々に想いを寄せて献金が行われます。

 これから3年前に長崎の純心聖母会のシスターの黙想会で伺った、原爆投下後のお話を紹介します。


『純女学徒隊殉難の記録より』(初版1961年、純心女子学園創立80周年記念)

「あと始末」シスター糸永ヨシさん(2018年の黙想会で当時96歳/元理事長)  https://www.n-junshin.ac.jp/univ/news/a_resurrection/(英文)

※ 一部表現を変えています

 

(8月9日の長崎の原爆投下後)

 校庭には三菱兵器の死者が朝から晩まで運ばれて、まさしくしかばねの山となる。堪え難い臭気と情景とを前にして昼食をいただき、午後の仕事に出かけて帰る頃には、その死体の山に火がつけてある。私どもは幾晩か、この火葬の火を明かりに夕食をとり、お祈りをした。

ある日(15日か16日)

 ローザ様が時津から帰って来て、声を潜めてささやかれた。「終戦ですって。敗戦だそうよ。」「嘘、嘘」「ほんと。いろいろ世話をしていた兵隊さんたちも引き上げてしまったもの。」と。

 今は亡き池田先生も愛宕山から包みを背負って来校され、重大放送のことを話してくださった。他にも幾人かの方々が同じことを言っていかれた。まごころ以外に何も持たず、この新型兵器に対してどんなに力んで見ても、何ができようはずもなかった。しかし9日のあの時以来、サイレンが鳴ればどんなところにいても素早く隠れて、命を惜しんで来たのは、ただただ死んだ生徒たちに代わって・・・と思ってだけ、してきたことだった。だからこそ、その時「終戦だ。敗戦だ」と聞いてもおいそれとは納得がゆくはずもなかったのだ。でもいつの間にか警報が鳴らなくなり、私どもに気持ちも狭いものから広い平和への渇望と代わり、生徒一人一人への愛情と代わっていった。

あと片付けも少しずつはかどっていくらか落ち着いてきたある日、山の校長先生はお考えになって、校長辞職願をお書きになった。おっしゃるままに長谷先生と仮事務所にいられる学務課長にお届けした。辞職願いを手にしたまま、一部始終をお聞きとりになった課長様は「帰って校長先生に申し上げてください。純心はもう一度復興するでしょう。校長先生のおけがもきっとお治りになります。勇気をお出しください」とおっしゃって書類をそのままお返しになった。

 戦争で200名の生徒さん職員を失いました。自責の念にかられながらご遺体を探し、ご家族に引き渡し、見つからなかったご家族にお詫びをしました。そして、学校を閉じようとされた時に、学務課長さんに励まされました。

 

 戦争中、原爆投下の後、どれほどの苦しみがあったか?調べてわかることがたくさんあります。 平和は当たり前ではありません。今の平和を築くために、どれだけの悲しみと努力があったか?平和旬間に、戦争で起きた出来事を振り返って、平和に感謝しましょう。そして、平和の道具になりましょう。

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